鎌倉のとっておき 〈第62回〉 猫が残してくれた宝物
今や家族の一員としても愛情を注がれる猫たちだが、日本へやってきたのは仏教が伝来した6世紀以降と言われている。
平安時代、宮中では中国から渡ってきた唐猫(からねこ)が多く飼われていたが、高価な交易品だったため、首に縄を掛けられて飼われていたという。
中世鎌倉では、中国(宋)との交易の進展に伴い、唐猫は仏典など貴重な書物を食い荒らすネズミよけとして船に乗せられ、日本にやってきた。
日本最古の武家文庫である金沢文庫を創設した北条実時は、当時は鎌倉の一部だった六浦(むつら)の港(横浜市金沢区)から書物などの文物を陸揚げしていたが、その際に上陸した猫は白、黒、黄色の三毛猫だったという。
この猫は、撫でると背を低くしたり、前足より後足が長く尻尾が短いことなどの特徴があり、「金沢猫」と呼ばれて鎌倉でも人気となり、以降、人々の日常生活の中に溶け込んでいった。
江戸時代になると、猫を縄で繋がないようにとのお触れも出され、晴れて自由の身になったという。この頃には、猫は養蚕業者などにも盛んに飼われるようになったが、値段は当時の馬1頭が1両程度であった中、5両もの高値がつくものもあったと聞く。そして現代「金沢猫」が守り伝えてくれた仏典や書物のほとんどは今や国宝となり、県立金沢文庫で大切に保管されている。かたやお隣の称名寺では、「金沢猫」の子どもが今も穏やかな時を過ごしている。
石塚裕之
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