成田山といえば幼い頃、祖母が毎年初詣に行き、土産に羊かんを持ち帰ってくれたのを覚えている。祖母は近衛師団にいた次男(私の叔父)を仏印進駐で失ったので、成田山参拝者が多かった近衛兵の遺族として、初詣に行くようになったのかもしれない。今年80
歳という節目の年齢を迎え「一度は成田を訪れてみたい」との思いが強く、1月23日の日帰り初詣ツアーに参加した。
鎌倉からバスに乗り、成田山に到着。新勝寺の境内は広く、新旧の伽藍が立ち並んで庶民の信仰の場の雰囲気が強い。正月の松が取れ、節分には間があって参拝客は多くなかったが、京都・奈良・鎌倉の大寺院とは違う親しみやすさがあった。
空港に近い成田のホテルで和食のお昼を摂った後、小雨の降る明治神宮へ。日本で一番初詣客が多いと思えないほど人が少なく、シンと静まり返っていた。また「神宮の森」がすっかり深い森に成長していることに驚いた。60年ほど前に六大学野球の応援でしばしば来ていたころとは随分違っていたのだ。
明治神宮の創建が代々木御料地に決まった1914年当時、この地はアカマツ林がある程度で、畑地や草原、沼地だった。明治天皇を祀る神社を作る以上は「鎮守の森」が必要と荒地に人工林を造成することに。造園に関する有識者が集められ、1921年に『明治神宮御境内林苑計画』を作成。「永久ニ荘厳神聖ナル林相」をめざすと当初、多様な樹種を多層に植栽することで、年月を経て約100年後には常緑広葉樹を中心とした極相林に達するとして、4段階の壮大な林苑計画だった。この計画に沿って、全国から350種を超える10万本の献木が寄せられ、その中から大きなものを選んで植えられた。その結果が100年近く経った今の「神宮の森」の姿なのだ。
最後はオリンピック・ミュージアム。見て、触れて、体験しながら、五輪について学ぶことをコンセプトに、昨年9月に開館。新国立競技場前にあり、若者の姿が目立った。ぎゅっと詰まったツアーで、夕方6時ごろには帰着。土産は成田の羊かんと八街産の落花生を使った最中にした。
(岩瀬第三春秋会
柏木浩志)
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