今日3月20日、航空自衛隊松島基地(宮城県)で行われる東京五輪「聖火到着式」。曲技飛行隊「ブルーインパルス」が、五輪マークを描くことが話題となっている。藤縄忠さん(横浜市栄区在住、82歳)もその瞬間を心待ちにする一人。藤縄さんは前回1964年の東京五輪開会式で、同隊の操縦士として直径約2Kmの巨大な輪を大空に描いた。
本番で「最高の出来」
高校卒業後、航空自衛隊に入隊し、27歳で大役を担うことになった藤縄さん。当時5つの輪をスモークで描くのは想像以上に難しく、約1年半にわたり任務の合間に練習を続けたが、一度も会心の出来には至らなかったという。
本番は「午後3時10分20秒」とタイミングを細かく指定され、世界中にテレビ中継されるという重圧ものしかかった。
開会式前日は大雨に見舞われた東京だったが、夜が明けると目の覚めるような青い空が広がり、「みんなでそれを見て、こりゃあやらなきゃいけないなと、気合いが一致したと思う」。待機していた江ノ島上空から目的地上空に到達するまでは5分ほど。開会式の入場行進が予定より遅れるといったアクシデントもあったが、5機が描いた五輪は、これまでになく美しく、タイミングも申し分なかった。
藤縄さんは直後に「うまくいったぞ」との知らせを受け、上昇してその目でも実際に五輪を確認した。「誰にも聞こえない酸素マスクの中で思わず、『やった!よく描けたぞ!』と叫んだのを覚えています。みんなで一つのことをやって分かち合えたのが嬉しかった」
成功を支えたのは抜群のチームワークだった。5人のうちすでに3人が亡くなってしまったが、「本当に仲が良くて、ケンカなんてしたことがなかったんだ」と当時を懐かしむ。再び、大役に挑む現役の後輩操縦士たちに向けては「難しいけれど、しっかり良い輪を描いてほしい」とエールを送る。
今も空に思いを
30代で退官した藤縄さんはその後、定年まで民間航空機の国際線操縦士を務めた。「当時ソ連の空は飛べなくて、北極を回ることも多かった。真夜中だとオーロラがひらひらと視界に広がってたよ」。そんな数々の絶景を目の当たりにしたという。「できることなら、また乗りたいね」と空に思いを馳せた。
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