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鎌倉のとっておき 〈第89回〉 鎌倉と御家人〜毛利氏〜

掲載号:2020年8月7日号

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法華堂跡の奥にある毛利季光の墓
法華堂跡の奥にある毛利季光の墓

 源頼朝が鎌倉に本格的な武家政権を樹立すると、鎌倉には多くの御家人達が集まり、鎌倉幕府に奉公するようになっていった。今回取り上げる毛利氏も鎌倉に勤仕していた御家人である。毛利氏といえば戦国時代に中国地方の大半を支配した毛利元就が有名である。

 毛利氏のルーツを遡っていくと鎌倉幕府初代政所別当(訴訟機関の長官)を務めた大江広元の四男・季光(すえみつ)に辿り着く。大江広元は各地の所領を子供達に分割相続した。四男の季光には、相模国愛甲郡毛利庄(今の厚木市)を譲った。季光はやがて所領の地名「毛利」を称するようになった。

 毛利季光は、北条氏と三浦氏が激突した宝治合戦で、妻の実家である三浦氏に味方した。しかし北条氏に敗れ、頼朝の法華堂(西御門に跡が残る)で三浦一族および子息達と共に自刃した。

 こうして滅亡したかに見えた毛利氏だが、生き延びた庶流がいた。そして季光の孫にあたる毛利時親は、安芸国吉田庄(今の広島県)に腰をおろした。

 鎌倉から離れた毛利氏は、江戸時代に萩(山口県)に拠点を移した。そして昭和54年(1979年)毛利氏ゆかりの萩市と鎌倉市は、歴史の街および観光地として、都市の景観が似ていることから姉妹都市となった。

 このように、両市と深い関わりを持つ毛利氏の歴史は、鎌倉幕府の誕生と共にはじまったといえる。

       浮田定則
 

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