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鎌倉 社会

公開日:2023.03.10

手広出身・佐藤崇平さん
「りん、小児科医になったよ」
亡き友に誓った夢叶える

  • 4月から小児科医になる佐藤さん

  • 佐藤さんが力を借りた凜君のリストバンド

 2010年3月4日、当時・手広中学1年だった佐藤崇平(しゅうへい)さんは、弟のようにかわいがっていた近所の友達・瀬川凜君(享年9歳)を小児がんで失った。あれから13年-。26歳となった佐藤さんは命日の4日、今は横浜で暮らす瀬川さんの自宅を訪れ、凜君の遺影に向かい手を合わせた。「りん、4月からついに小児科医になるよ」。佐藤さんは、凜君他界から半年後に書いた作文(=左下)で具体的に明かしてはいなかったが、友の死を受けて小児科医になることを決め、夢が叶った時には報告に行くことを誓っていた。

※掲載の作文は「鎌倉社協だより2011年2月号」より

 2人が出会ったのは、書道教室。佐藤さんが小学5年生、凜君が1年生の時。手広に住む佐藤さんの自宅から教室は目と鼻の先だったが、歩いて10分ほど離れた凜君の家まで迎えに行き、おしゃべりしながら一緒に向かった。4つ下の凜君の道具箱を、佐藤さんが持つこともあった。

 書道教室以外にも、お互いの家でゲームをしたり、2人が通う西鎌倉小学校で一緒に遊んだり。それぞれの家族も、「本当に仲が良かった」と当時を回顧する。

別れの時に決めた”夢”

 凜君は、2歳の時に小児がんを発症。治療と再発により、入退院を繰り返した。2010年3月、2人が知り合ってから3年が経とうとする頃、突然の別れが訪れた。凜君が他界した翌日に家を訪問した佐藤さんは、遺体の横で1時間以上泣き続けた。そして、心にこう決めた。将来は小児科医になる-。

 佐藤さんは、中学1年生の終わりから猛勉強。高校は横浜翠嵐に進学し、ストレートで東京慈恵会医科大学の医学部に合格した。

 高校受験、大学受験の会場には、凜君の形見であるオレンジ色のリストバンドを自宅から持って行き、パワーを借りた。医学部で6年学んだ後、2年前からは研修医として付属病院などで内科や医科、救急などさまざまな現場を経験した。

 その中から佐藤さんは迷うことなく小児科を選び、今年4月から「小児科医」として3年間の後期研修に入る。13年前に進むべき道を決めた時と同じように、「凜みたいな小さな子どもを助けたい。未来ある子どもの命を救いたい」と佐藤さんは語る。

「また力を借りちゃうかも」

 小児科医としてこれから始まる後期研修。最後は”1人前”になるための試験も控える。現在、佐藤さんは東京で暮らし、リストバンドは実家に置いてきた。「凜の力はもう借りないぞと。でも、3年後の試験でまた借りちゃうかも、借りてもいいかなと思う」と笑みがこぼれる。

 佐藤さんは凜君の命日や誕生日に、両親とも交流を続ける。凜君の母・久仁子さんは、「凜と(佐藤)崇ちゃんの関係を見ていると、人の人生は長さではないと感じる。凜にとって最高の出会いだったと思う」。

 4日に瀬川家で線香をあげた佐藤さん。「ついにここまで来たか」。遺影の中で笑顔を浮かべる凜君を前に、決意を新たにした。

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