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鎌倉版 公開:2025年6月20日 エリアトップへ

鎌倉のとっておき 第185回 古都の縁(鎌倉と京都)――西田幾多郎ゆかりの場所

公開:2025年6月20日

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西田幾多郎歌碑(稲村ガ崎)
西田幾多郎歌碑(稲村ガ崎)

 西田幾多郎は「善の研究」を著わした京都帝国大学の哲学者であり、若王子橋から浄土寺橋までの琵琶湖疏水分線に沿う散歩道は西田幾多郎や河上肇、田辺元らの哲学者が散歩したことから「哲学の道」と名付けられている。このため、西田幾多郎というと京都を思い浮かべる人も多い。

 しかし、西田幾多郎が晩年を鎌倉で過ごしたことを知る人は意外と少ない。西田幾多郎は昭和3年(1928)から昭和20年(1945)に没するまで、稲村ガ崎に居住した。稲村ガ崎は、七里ヶ浜から江の島に続く海岸線と、富士山、箱根、伊豆半島の山々を望める景勝地である。

 西田幾多郎は、「日本の渚百選」にも選ばれている七里ヶ浜からの眺めを「七里濱夕日漂ふ波の上に伊豆の山々果し知らずも」と詠んだ。この歌碑は七里ヶ浜にあったが、2019年の台風19号の高波で被害を受け、現在は鎌倉海浜公園稲村ガ崎地区に移設されている。稲村ガ崎は、新田義貞が鎌倉攻めに際し黄金作りの太刀を海中に投げ入れて龍神に祈念すると、潮が引いて鎌倉に攻め入ることができたとのエピソードが太平記に書かれており、同公園には新田義貞の石碑もある。

 北鎌倉の東慶寺は「駆け込み寺」の名で知られ、墓地には鈴木大拙、岩波茂雄、和辻哲郎、高見順らの文化人が眠っているが、その一角に西田幾多郎のお墓がある。稲村ガ崎、七里ヶ浜そして東慶寺で、往年の哲学者・西田幾多郎を偲んでみては如何でしょうか。

山東 直大

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