12日から展覧会開幕、寒川町美術協会の会長を務める 飯尾博美さん 岡田在住 83歳
色褪せない 少年時代
○…名前に「美」を備える美術協会の会長。よく「ひろみ」と呼ばれるが「ひろよし」さんだ。昨年は美術展がコロナ禍で開催できず、仲間も家に閉じこもって描き続けた。明日からの作品展をどんなに楽しみにしていることか。感染対策を徹底し、お互いの作品について語り合う「反省会」は控える。会話がなくてもいい。会場で観るだけで心の交流に、社会参画にも通じるはずだ。語る横顔は晴々としている。
○…平塚市の相模川河口・須賀の出身。少年時代は終戦後の食糧難に重なり「道路に生えている草を探して食べました。根っこも口に入れた」。学校は勉強よりも「あの辺は栗が拾える」といった情報交換の場。とにかく食べ物探しで必死だったという。暑い日は相模川へ。仰向けに浮いていると流されてしまうから必死に対岸を目指した。遊び場の多くは砂地で、草野球をしても球は転がらず、追う必要もない。土のグラウンドで試合をしたら大負けした。
○…学校を出て旭ファイバーグラスに就職し、職場の美術部で手ほどきを受けたのが水彩画との出会い。地元の川や防波堤などをテーマに思い出を重ねて描き、勤労者美術展に出したところ2年連続で労働大臣賞に輝いた。近所は大騒ぎになったらしい。その後は労働組合活動で多忙となりブランクもあったが、定年後「やろうかな」と再び筆を握った。
○…美術協会の会長として頭痛の種となっているのが、若手メンバーが少ないこと。今は地元の小学校と手を携え、夏休みの作品の審査など、未来の画家の育成に注力する。「小さな作品でもいい。若い人が来る流れを作らなきゃ」。ひとりの画家として新しい色を、化学変化を求めるよう。少年時代のバイタリティは変わっていない。
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