1991年に設立された平塚市美術館は、今年で30周年を迎えた。3回連載で設立までの歴史を振り返る。今回は同館に2000年から勤務する、現職員で最も古株の勝山滋学芸員(49)に話を聞いた。
戦後間もない1950年代、展覧会を開くなど美術復興に向けて動きを見せていた平塚在住の文化人たちによって、美術館設立は発起された。
「復興すら道半ばなのに、美術館なんて」と厳しい声も上がるなか設立を後押ししたのが、60年代初期に湘南の芸術家たちが市へ作品を寄贈した「1作家1作品寄贈運動」だ。ここから、市民や地域の芸術家が組織的に展覧会やアトリエの開放などを実施し、美術を発信する場の必要性を説いた。現在も続く平塚市展は、館設立を目標に始まった展覧会だ。「特徴的なのは官民で声を上げて設立が実現したこと。当時の加藤一太郎市長が芸術に造詣が深く設立に賛同していたことも大きかったようです」と勝山さんは話す。
多世代が集う場に
施設の意義を「地域住民が憩いと喜びの中で、想像の手がかりを発見できる場」と掲げる同館。市民アートギャラリーはまさにそれを反映する場所だ。開館当初は市内の小学生たちの作品を展示。社会教育の場として機能する、新しい美術館像の先駆けとなった。
同館は現在、展覧会とワークショップを2本の柱とし、学校連携にも力を入れる。ワークショップも1年で1つのものを作る形式から、幅広い世代が単発で参加できる内容に変化した。「自分のまちに美術館があるんだと多くの人に知ってほしい。今後も地域に親しまれる施設となるよう努力します」
次回は美術愛好団体会員に、当時の館設立運動について聞く。
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