神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS

日本国憲法の制定過程から学ぶ 幣原内閣の政権維持と鳩山一郎 〈寄稿〉文/小川光夫 No.55

公開:2011年1月14日

  • X
  • LINE
  • hatena

 4月10日、第一回衆議院選挙が行われた。その結果、自由党140名、進歩党93名、社会党92名、協同党14名、共産党5名、諸派38名、無所属80名が当選した。このうち39名が女性であったことや、共産党が我が国議会史上初めて議席を獲得したことが話題となったが、この選挙で中心をなしたのが鳩山一郎である。自由主義的な鳩山は、戦前、義兄の鈴木喜三郎の後を継いで政友会総裁になるはずであったが、親軍派の中島知久平(戦闘機などを作っていた中島飛行場の社長)が総裁に立候補したことから党の分裂を避けるために諦め、戦争中は軽井沢の別荘に引きこもっていた。終戦に近づくにつれて芦田均、安藤正純などの呼びかけで新党構想が持ち上がり、その代表を鳩山に委ねるという誘いの電話が何度も掛ってきた。ようやく重い腰を上げた鳩山は音羽御殿(旧鳩山邸)が戦災で入居できないことから麻布の石橋正次郎邸の二階に住まいを構え、その準備に取り掛かった。その鳩山は同じ石橋邸に同居していた松野鶴平、楢橋渡、木村武雄を誘って、芦田均、安藤正純、三木武吉、河野一郎などとともに日本自由党を立ち上げることになる。こうして、思惑通り衆議院議員総選挙では鳩山率いる自由党が第1党となった。しかし、総辞職するはずの幣原内閣は、「自由党は過半数を占めていない、鳩山は公職追放に該当する」などと言って居座りを続けた。一方、自由党内部においても芦田、楢橋が幣原首相からの誘いに乗って入閣したことや若い河野一郎(河野洋平元自民党総裁の父親、河野太郎の祖父)が自由党の幹事長になったことへの不満もあり亀裂が生じていた。そうした中で三土忠造(みつちちゅうぞう)内相や石黒武重法制局長官から「公職追放によって弱体化している進歩党(旧民政党−親軍派)総裁に幣原を抜擢して党の回復を図りたい」との申し出があった。楢橋はその申し出を了承し、その見返りとして幣原首相の居座りを了承したことから、自ら表裏工作で飛び回った。その行動は、常人では考えられないような強引なもので、マスコミからも「楢橋の怪物」と言わしめるほどであった。しかし幣原の居座りに対する批判は日増しに高まっていく。共産党、労働組合による幣原居座りデモが行われ、4月19日には自由党、社会党、協同党、共産党による幣原打倒共同委員会の成立までに発展した。幣原内閣はようやく総辞職を決意することになるが、それは4月22日のことであった。翌日、幣原は首相官邸に鳩山自由党総裁と片山哲社会党書記長を招いて、首相後継者に鳩山一郎を推薦した。これを受けて4月30日、鳩山は自由党単独組閣の方針を決定し、自ら首相になることを表明した。こうして幣原は5月2日に宮中に参内し、鳩山首班を奏請するとともに、GHQに対しても公文書で提出することになる。しかし、5月3日、GHQは鳩山のパージ(公職追放)を日本政府に通達してきた。鳩山の追放は、楢橋だけでなく共産党などが総司令部に情報を売り込んでいたことが原因であった、と言われている。

大磯・二宮・中井版のコラム最新6

乱打戦は制してこそ

ベルマガ通信 3月17日ホーム湘南4-4浦和

乱打戦は制してこそ

J1第4節vs浦和レッズ

3月22日

大磯歴史語り〈財閥編〉

大磯歴史語り〈財閥編〉

第72回「浅野総一郎㉒」〈敬称略〉   文・武井久江

12月22日

大磯歴史語り〈財閥編〉

大磯歴史語り〈財閥編〉

第71回「浅野総一郎㉑」〈敬称略〉   文・武井久江

12月8日

残留を引き寄せた主将の一撃

ベルマガ通信 11月25日アウェー湘南1-0横浜FC

残留を引き寄せた主将の一撃

裏天王山の軍配は湘南

12月1日

勝って兜の緒を締めよ

ベルマガ通信 11月11日ホーム湘南2-1名古屋

勝って兜の緒を締めよ

J1第32節vs名古屋グランパス

11月17日

大磯歴史語り〈財閥編〉

大磯歴史語り〈財閥編〉

第70回「浅野総一郎【20】」〈敬称略〉   文・武井久江

11月17日

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 4月19日0:00更新

  • 4月12日0:00更新

  • 4月5日0:00更新

大磯・二宮・中井版のあっとほーむデスク一覧へ

バックナンバー最新号:2024年4月19日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook