大磯・二宮・中井版 掲載号:2011年6月24日号
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日本国憲法の制定過程から学ぶ 大磯の澤田美喜とエリザベス・サンダース・ホーム 〈寄稿〉文/小川光夫 No.74

 ある日、美喜が電車に乗って出掛けていたところ、自分が座っていた席の上の網棚から紫の風呂敷包が自分の膝に落ちてきた。彼女は慌ててその包みを元の網棚に戻したが、その彼女の動作を見ていた公安員が、彼女を怪しんで近寄ってきた。その公安員は「その風呂敷包の中に何が入っているのか」と尋ねてきたので、すぐに彼女は、これは自分のものではなく、網棚から落ちてきたものだ、と説明したが、その公安員は闇米など闇市場で買った物ではないかと疑っていて彼女を信じようとしなかった。やがて公安員はその風呂敷地包みを開けるように命じた。驚いたことにその風呂敷包みの新聞紙の中から現われたのは黒い肌の嬰児の死体であった。公安員はますます語気を強めて、彼女に問質してきた。美喜は「私が生んだのなら、まだ嬰児なので調べてみればすぐに分かる」と言っても、その公安員は信じようとしなかった。その時、一部始終を見ていた近くのお爺さんが、それは彼女のものではないことを説明した。お爺さんは、その包みがあまりにも鮮やかな紫色であったことからその包みを置いて行った若い女性のことを覚えていた。窮地を脱した彼女はその頃から、混血児やその母親を助けるために自分がどうすべきかを考えるようになり、やがて混血児のための施設を大磯の岩崎家の別荘地に創設することを決心した。それは彼女がロンドンのドクター・バーナードス・ホームでの経験以来、18年間の心の祈りでもある。しかし彼女の前途は多難であった。岩崎久弥の長女といっても岩崎財閥は財閥解体によって分断され、久弥の岩崎庭園や彼の財産、そして大磯の弥之助の別邸も国に没収されていたからである。それでも父親から「金銭的な支援はできないが、その気持ちを大切にするように」と励まされ、彼女は大磯の地に施設をつくるために政府にも相談に出掛けて行った。しかし政府から返ってきた言葉は、嘲笑うかのような冷たい言葉であった。政府の担当官から自分達の別荘にもかかわらず「現価で買ってくれるのなら売ってもいい」と言われ、美喜は失意の内に家に帰った。それでも美喜はこうした仕打ちにも諦めることはなかった。彼女は日本での活動を諦め、今度はアメリカに出掛けて大磯の別邸を購入するための寄付活動を行なうことにした。しかしアメリカにおける寄付活動も最初は思うようには進まなかった。それは彼女が作ろうとしている混血児の施設は、米兵との関係で生まれた子供達を救うための施設であり(連合国といってもほとんど重要な都市は米兵が仕切っていた)、それはアメリカ国家の恥をさらすことにもなることからアメリカ政府としても容認できないことであった。そうした不利な状況下においても彼女は決して諦めることなくアメリカでの講演活動などを通して、施設創設の資金を貯めていった。そうした彼女の資金集めに大きな救いの手を差し伸べたのが、ジョセヒン・ベーカー女史であった。美喜が彼女と知り合うのはアメリカで講演活動をしている最中であった。ベーカーは黒人であるが故に差別され寝場所もなく困っていたところ、美喜が「それなら私の所に来て」と言って一週間ほど泊めて面倒を見た。その後ベーカーはフランスに渡って歌手として成功を修め、美喜が大磯の別邸にエリザベス・サンダース・ホームを築くことを知って、来日し、各地で数回の公演をして資金集めに協力した。
 

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