大磯・二宮・中井 コラム日本国憲法の制定過程から学ぶ
公開日:2011.09.23
日本国憲法の制定過程から学ぶ
二宮町の教育に尽力した伊達時
〈寄稿〉文/小川光夫 No.86
二宮町にとって忘れられない人物として伊達時(時太郎)があげられる。二宮駅の開設や二宮・秦野間の県道の整備、社会公共福祉の増進など、二宮町の発展に貢献した人物で、二宮駅南口前には、伊達時の記念碑が立っている。近年、二宮町図書館でも、「図書館だより」を発刊したり、「伊達時コーナー」を設けて伊達時の功績についてプロパガンダしている。
伊達時は、嘉永1年(1849)年、二宮村(塩海)に生まれる。明治6年に思文館(現国府小学校)が開設され、翌年に二宮に分校(現二宮小学校)ができると大磯善福寺住職であった伊東希元のもとで教師として子弟の教育に携わった。思文館には3年間在職していたが、学問の更なる向上を目指して上京し、医学や漢学を学び、明治13年には、福沢諭吉の交詢社に入社した。
伊達時は、「私立中郡盲人学校」(現在の神奈川県立盲学校及び平塚ろう学校)の初代校長として迎えられ、大正5年(1916年)に死去するまで、恵まれない子ども達の教育に尽力した。
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