大磯・二宮・中井版 掲載号:2012年1月27日号

日本国憲法の制定過程から学ぶ

戦後初めての参議院選挙と二度目の衆議院選挙

〈寄稿〉文/小川光夫 No.101

 1947年4月20日、参議院選挙が、そして4月25日にはマッカーサーの指令によって衆議院選挙が施行されることになった。この二つの選挙を前にして進歩党は、GS(民政局)による有力議員の公職追放を恐れて日本民主党を結成し、国民党は協同党と合同して国民協同党を結成した。こうしてわが国最初の参議院選挙が行われ、全国区では社会党17人、自由党8人、国民協同党3人、共産党3人、無所属が58人で、地方区は社会党30人、自由党30人、民主党24人、国民協同党6人、共産党1人、無所属53人の当選を果たした。

 当時、参議院は権能、良識、職能的な立場から牽制しあい、政党と世論との均衡を保たせるための機関として認識されていたことから、その任期も、解散無しの6年と定められていた。参議院選挙で作家の山本有三など無所属の当選が多かったことはそのことを意味しており、現在のように参議院が衆議院と同じように党派・派閥に属し、「ねじれ国会」を生み出すことなどとは誰も考えてもいなかった。今日の政治の衰退と混乱は、政治家達が参議院の持つ政党と世論との均衡を保たせるための機関としての役割を変質させたことによるところが大きい。

 4月25日、衆議院選挙が行われ、社会党143人、自由党131人、民主党126人、国協党31人、共産党4人、諸派21人、無所属11人という結果になった。社会党が予想外に第1党となったことに西尾末広など社会党の誰もが驚きを隠せなかった。この選挙結果についてマッカーサーは「日本国民は、共産主義的指導を断固として廃し、中庸を選んだ」とコメントを述べた。

 日本国憲法が施行された5月3日、社会党は中央執行委員会を開き、第一党として首班内閣について話し合いを行い、自由党、民主党、国協党を加えた四党連立内閣を模索した。しかし、自由党の吉田首相は、社会党左派を切らなければ連立には加わらない。社会党の一部は共産党との協力を主張している、として賛同しなかった。一方、民主党内においても二つに意見が割れていた。幣原喜重郎(名誉総裁)、齋藤隆夫(筆頭最高委員)などの保守派は自由党に従うべきであるとしたが、芦田派は社会党と連携すべきであるとした。5月18日、民主党の党大会で芦田が新総裁に選ばれたが、連立については対立していて纏まらなかった。

 23日、社会党の呼びかけによって四党代表者会談が召集された。そこで衆議院、参議院での首班選挙が行われ、社会党の片山哲が選出された。しかし自由党が正式に連立拒否の態度を示したことにより政局は混迷を呈した。そのため社会党は民主党の中堅、若手が示していた条件を呑むことによって、民主党の連立参加を取り付け、ようやく6月1日に片山新首相による組閣が行なわれた。
 

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