日本国憲法の制定過程から学ぶ ケーディス大佐と芦田政権 〈寄稿〉文/小川光夫 No.104
芦田政権は、度重なる労働攻勢についてはGHQのマーカット経済科学局長の「一般スト禁止」によって切り抜け、二十三年度予算についてもGHQの要求通りに運賃の値上げや取引高税の新設を行った。また、ケーディス民政局次長の指示に従って、隠退蔵委員会を改め不当財産取引調査特別委員会の設置を図った。この委員会はケーディスなど民政局(GS)が、軍服払い下げ事件などについて調査していたところ自由党の不正政治資金が明らかになったことから、自由党を弱体化させるために設置させたものであった。しかし、不当財産取引特別委員会の調査が進むにつれて炭鉱国家管理団体や土木業者からの政治献金が国会で取り上げられ、自由党議員だけでなく副総理の西尾末広(社会党書記長)までもが政治献金を受けていたことが判明し、芦田政権の屋台骨がぐらつき始めた。さらに昭和電工疑獄が明るみになって芦田政権の崩壊は決定的となった。
昭和電工事件は、民政局員のワイルズなどの暴露本『東京旋風』などにも示されているが、この事件はGSに対抗するG2(参謀第二部)のウイロビーなどの策略によるものであった。『東京旋風』によると、マーカットの指図によって日野原節三を昭和電工の社長に命令したことや日野原が社長になると昭和電工から何十億という汚れたカネが政界・官界などにばらまかれたことなどが記載されている。
当時、昭和電工は復興金融公庫から巨額の融資を受けていたが、この資金が来栖(くるす)蔵相や福田大蔵省主計局長などにも流れていた。こうして11月7日に芦田内閣はその責任をとって総辞職し、芦田自身も11月28日に逮捕されることになる。
以前No.97で述べたように、戦後の日本の政治は、GSとG2との激しい対立に翻弄されながら行われた。GSが社会党や民主党と結び付き、G2が自由党と結び付いて泥仕合が行われ政権交代が繰り返された。
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