大磯・二宮・中井版 掲載号:2012年4月20日号
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日本国憲法の制定過程から学ぶ アメリカの対日政策の変更と吉田茂 〈寄稿〉文/小川光夫 No.107

 第三次吉田内閣の誕生とアメリカの対日政策の180度転換は軌を一にしている。1948年(昭和23年)1月6日、サンフランシスコにおけるロイヤル国務長官の演説は日本を反共の政治的防波堤にすることと、日本の経済的自立を促すことであった。これらを成し遂げるには、片山哲のようにぐらつきのない、しかも共産主義を嫌い、日本を早期に独立国家とすることを願っている吉田茂こそが相応しい、とアメリカは考えるようになっていた。アメリカ政府は米ソ冷戦へ、やがて熱戦へと変化していく現状と、そして膨大な対日編助負担について真剣に考えていた。GHQは次から次へと日本共産党の活動に規制・弾圧を加え、一方では企業の経済力集中排除の緩和を行って、自由資本主義化と日本経済の自立化を図ろうとした。

 確かに吉田茂は、アメリカが願っていた青写真に相応しい人物であった。しかし吉田は、アメリカの言いなりになっていた訳では決してない。吉田は共産主義を理想とするGSのホイットニーやケーディスなどを嫌い、どちらかというと彼らと対立するG2のウィロビーの方についたが、肝心なところはマッカーサーに直接談判した。吉田はウィロビーと同じく日本の旧支配層を温存しょうとするというのではなく、日ソ中立条約を一方的に破棄し、南樺太と北方四島を侵略したソ連を快く思っていなかった。またアメリカについても占領下に置かれている弱みもあったが、巧みにアメリカを利用して日本の独立と経済復興を早期に実現しようとした。

 母親が芸者であることから幼くして養子となり多感な少年時代を吉田家で過ごし、大学卒業後は外交官として中国、イギリス、イタリアなどに長期に渡って外国で過ごした吉田茂は、誰よりも両親への愛情や祖国への思いが強かったに違いない、と私は思っている。また外交官として各国の政治・経済力や戦力についての情報を得ていた吉田茂には東条英機などの軍部の起こした戦争は無謀としか写っていなかった。だからこそ東条を政権から引き摺り落とすことを企てて拘置所に収監されたのである。

 戦後はワンマンと云われ、政治家を排して官僚出身者を当選させ、自分好みの組閣を行ったが、吉田ほど日本を愛し、信念を貫いた政治家は当時、今もそうであるが、日本にはあまりいないのではないか、と私は思う。吉田は、戦前は軍部に同調或いは屈して、純粋な若者を戦地に追いやり、戦後はGHQに諂(へつら)い表では平和主義と民主主義を唱え、裏では汚職や権威に溺れる政治家や知識人と称する狡賢(ずるがしこ)い或いは臆病者を嫌というほど見てきたに違いない。
 

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