二宮ゆかりの画家 連載第6回 二見利節(としとき)・その生涯
このころの利節は、椎名町にあるパルテノン(アトリエ村)に一軒を借り受けて、ここに移っていた。マッチ箱のような小さなアトリエで、それがいくつも建てられていた。パルテノンの住人になったわけである。人気の出てきた二見は、女子美生のあこがれの的となって、たくさんの女子美生が出入りするようになった。よくパルテノンに彼を訪ねたことがあったが、必ず女子美生のだれかが訪れていた。このころが彼の一生の中でいちばん楽しかった時代だったと思う。その後、アトリエを杉並区の和田本町に移し、画家仲間の交流も数を増して彼の創作力はいっそう増大していった。
和田本町に移ってから、一大事件が起きた。彼の相思の間柄にあった女性の裏切りであった。これが「うつぶせの女」の製作となったのである。また彼にあこがれて集って来る美校生をモデルにして数多くの画が描かれた。
その最も優秀なものに「三人の女」がある。いずれも物置小屋のアトリエで描かれたものである。「うつぶせの女」についての事情は一向に話さなかった。ただ「この絵は何に見える?」と問うたのみで、あとは語らなかった。
後この話を聞いて驚いた次第である。これが昭和十四年の春陽展への出品作である。この秋第二回文展に出品した「T子」が特選となり一躍画壇の注目の的となった。
※「二宮町近代史話」(昭和60年11月刊行)より引用
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二宮町にアトリエを構え、創作活動に打ち込んだ洋画家二見利節(1911〜1976年)の生涯を紹介しています。
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