二宮ゆかりの画家 連載第7回 二見利節(としとき)・その生涯
文展特選「横たわる女」
昭和十五年に入って、東京、二宮の生活を繰り返していた二見は、よく我が家を訪れた。そのつど部屋に置かれた土器石器類をじっと見つめていた。十月過ぎて一通の封書が送られてきた。開いてみると一枚の絵葉書であった。下部に特選、第三回文部省美術展覧会出品(横たわる女)二見利節、こう書かれている。一つ気づいたことは、彼独特の渋い枯葉の色が、やや違っていることである。とっさにこれは土器の色だと気づいた。数千年の間土中にあって、また元の土に返ろうとしている土器の色、製作者の縄文人もこんなに変色するとは考え及ばなかったと思う。利節の探し求めていた大自然の真理、これを画面に表現しようと試み続けた努力は、いくぶんかは、報われたのではないかと考えた。
頬杖をついて横たわる乙女は、女子美生をモデルにしたのだという。また彼自慢の朝鮮の壺も鮮やかに描かれている。前面の丸い影、左画面の長方形の影、上面の小さな影、この絵は四周にまだまだつながっていることを表したいのだと説明した。
文展連続特選、無鑑査と続く利節に対して賛辞を送った洋画界の大先輩たちの言葉を次に掲げる。
二見氏個展につき坂本繁二郎
現今、作家の指向に二つの傾きがある。一つは絵画の根本問題に重点を置くもの、一つは絵画の用途に重点を置くもの、此の二つの傾向は、何れにも理由はあることで、現在作家の処世の態度の上にも自づから此の相違は見られるものであるが、二見氏は前者の傾向にあり、絵画の本質に向って真向から取組まれている。即ち実相追求の中に、自己の真実を把握されんとして居るものであり、道として尤も難道であると共に、又最も甲斐ある重要な道程である。此処に進む勇者はそれ丈けの自信と誠実が必ず裏付いて居るのを常とする。此の難道に堪へ得ざるものは、己を捨てて多くは他の易道に出るのであるが、そのような人には之より期待はあり得ない。二見氏の色彩はスケールが豊かで表面よりもむしろ底力がある。色彩は単なる色彩の為の色彩ではなく、実相追求になって居る。それでよく見て居る方が段々よくなって来る。重厚なる作家の真実性がむしろ素朴に輝いて居るのである。現今の日本画壇は忌憚なく云へば量的な盛大に比して実質は之にまだ伴はざる淋しさがある。明日の画壇の為に二見氏の如き道程を往く人に特に嘱望されねばならぬ。〈続く〉
※「二宮町近代史話」(昭和60年11月刊行)より引用
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