二宮ゆかりの画家 連載第15回 二見利節(としとき)・その生涯
個 展
昭和四十七年に入ると、百号の傑作である「玄武蘇上」が完成して、四月の第四十六回国画会展に出品された。六月十一日には彼の先輩画家で平塚市出身の鳥海青児が死去し、告別式に参列している。九月に入って二十三日から三十日まで日動サロンにおいて、個展「二見利節展」が行われた。利節の油彩伊豆山高那の島(F二〇号)の写真入りの招待状に、日動画廊社長長谷川仁は次のような言葉を書いている。
牛が草を食むように間断なく絵を描き、反芻を繰り返し続けている。しかも何十年、他に何一つ省みない。こういう変わった貴重な画家が今日もいます。
現在国画会の先輩会員二見利節氏。経歴を一見しても即解できるように、一切を超脱して独居生活、明けても暮れても自己の裡にかたく抱いた珠玉を研き鑽り、昨日できた絵が十年前から描き続けているものなのか判りません。塗りに塗りこめ、また削り取り、まったく心の趣くままに開花させた不思議な妖しさと美しさの作品、それを今回ようやく満六十歳の大転回を試みるという作者を口説いて日動サロンが一挙に発表いたします。きっと大きな話題を呼ぶものと信じています。日動画廊としましては、まだ戦前に二見氏が文展の特選画家として、一躍登場した時代に大きな個展を開いた縁故があります。
今度は、約八十点の精選した大小油絵を展示し秘められていた宝庫を開くことになりますので、何とぞ特別にご期待下さいますようお願い申上げます。
日動画廊社長 長谷川仁
(つづく)
※「二宮町近代史話」(昭和60年11月刊行)より引用
二宮町にアトリエを構え、創作活動に打ち込んだ洋画家二見利節(1911〜1976年)の生涯を紹介しています。二宮町山西にあるふたみ記念館では彼の作品を収蔵・展示。
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