二宮ゆかりの画家 連載第18回 二見利節(としとき)・その生涯
再入院
昭和五十年七月二十三日から八日間、大阪日動画廊において「二見利節鑑賞展」が開催された。その終わる前日の二十九日に小田原市立病院に再入院したが、まだまだ元気いっぱいであった。八月に入ると二十一日から二十八日まで日動サロンで東京での第三回目の「二見利節展」が開かれた。
「ランプのある静物」10F)の描かれた招待状には次のような文章が書かれていた。
二見利節先生ほど名利に疎い芸術家は近頃見ることが出来ません。神奈川県二宮の草繋る古アトリエに蟄居して、門を閉ざしひたすら独自な芸境に没入、精進に明け暮れている様は有徳の禅僧に通じます。最近アトリエを訪れましたところ、驚くべきことには孤独な病床のめぐりは厖大な完成、未完成の作品で埋まっていました。その中から近作数十点を選び出させていただき、今回発表いたします。
二見先生は今から三十六年前に当日動画廊にて、文展特選春陽会賞などに輝く新進としてデビュー展をいたしましたし、またその経歴が示す通り青山義雄、坂本繁二郎、鳥海青児の流れを汲み、一筋縄の作家でないことがわかります。幽遠のうちに鋭鋒を蔵し、さらに個性の完成に近づいておられることは確かです。私共は二見先生の芸術を大いに推奨いたしたいと存じます。
この催しの期間中に利節は病苦をおして娘矩子とともに日動サロン会場に出席している。
(つづく)
※「二宮町近代史話」(昭和60年11月刊行)より引用
二宮町にアトリエを構え、創作活動に打ち込んだ洋画家二見利節(1911〜1976年)の生涯を紹介しています。二宮町山西にあるふたみ記念館では彼の作品を収蔵・展示。
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