大磯・二宮・中井 コラム八重と蘇峰
公開日:2013.11.15
連載 第2回
八重と蘇峰
徳富蘇峰記念館学芸員 塩崎信彦
会津戦争を語った八重
250年に及ぶ江戸太平の世は、1853年のペリー黒船来航によって軋みを見せ始めます。幕府の開国政策に反対した攘夷運動によって荒れた京都を守るため、親藩・会津藩に京都守護職の任が下り、会津藩主・松平容保(かたもり)は藩士千人を伴い上洛します。
その後の戊辰戦争で会津藩は新政府軍と戦い、ここに逆賊としての悲運が始まります。江戸から北上した西軍(新政府軍)との会津戦争では、砲術師範山本家の娘・八重(後の新島八重)が男装し、スペンサー銃と大砲を操り戦いました。
ちなみにこの西軍、東軍(旧幕府軍)の呼び名は、会津藩家老山川家の三男で、東京帝国大学総長を務めた山川健次郎監修による『会津戊辰戦史』(会津戊辰戦史編纂会)で初めて使われ、以後広く使用されました。この鶴ヶ城籠城戦で活躍した八重は「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれ、大河ドラマ圧巻の映像も記憶に新しいところです。
徳富蘇峰が著した全100巻からなる壮大な歴史書『近世日本国民史』でも戊辰戦争に1冊が割かれ、第73巻に『会津籠城篇』として収められています。その中で蘇峰は「著者はしばしば同人(八重)より会津籠城の物語を聞いたことを、今尚ほ記憶している」と、八重本人から直接往時の様子を聞くことができた喜びを披瀝しています。
二宮町にある徳富蘇峰記念館の学芸員・塩崎信彦さんが、新島八重と蘇峰について4回シリーズで紹介しています。
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