大磯・二宮・中井版 掲載号:2019年7月26日号 エリアトップへ

明治150年記念連載 大磯歴史語り 第26回「原敬【1】」文・武井久江

掲載号:2019年7月26日号

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原敬生家の産湯の井戸
原敬生家の産湯の井戸

 今回から、原敬に入ります。原敬は、明治時代の終わりごろから大正時代に活躍した盛岡出身の政治家です。「立憲政友会」という政党の総裁となり、平民初の内閣総理大臣(第19代)として、本格的な政党政治や平和外交などを進めた方でした。この方の誕生からご紹介していきます。

 安政3年(1856)2月9日生まれ。岩手郡本宮村(現在の盛岡市本宮)で、生家は5分の1が現存しています(原敬記念館の横にあります)。祖父・直記(盛岡藩家老)は、原敬が4歳の時に71歳で亡くなりました。原家は家老格の上級武士。父・直治は藩の軍学の師で、原が9歳の時、41歳の若さで亡くなりました。母・リツは、残された子供たちを育てるために大変な苦労をしました。兄弟は姉が2人、兄1人、弟3人。その次男坊として生まれ、幼名は健次郎でした。当時は使用人を約40人も雇える身分の家柄でしたが、父が早く亡くなったことと、幕末という時代に盛岡藩に生まれたことが原の人生を大きく変えることになります。何故かというと、戊辰戦争で盛岡藩は新政府軍に最後まで抵抗して「賊軍」となり、賠償金など多くの借金を盛岡藩は背負うことになりました。当然藩士たちは落ちぶれ、原家も困窮しました。彼が12歳の時に、東北戊辰戦争(長州藩・薩摩藩中心の新政府軍と東北諸藩との闘い)で盛岡藩は敗れ、「官軍」となって長州・薩摩が盛岡に乗り込んできて東北の地を「白河以北一山百文」と見下されます。「一山百文」は一山でも百文(当時の蕎麦60杯程度の値段)の価値しかない荒れ地という意味で、その悔しさを忘れないように、後に雅号を「一山」としました。原は、母に親孝行をする為には勉学を頑張ろうと、藩校の「作人館」で学んだ後、旧藩主・南部利恭が設立した英語学校「共慣義塾」へ入学するために、15歳で東京へと旅立ちます。今回はここまでです。(敬称略)
 

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