大磯・二宮・中井版 掲載号:2019年9月27日号 エリアトップへ

明治150年記念連載 大磯歴史語り 第30回「原敬【5】」文・武井久江

掲載号:2019年9月27日号

  • LINE
  • hatena
小島初五郎のご子孫が建てた標示板
小島初五郎のご子孫が建てた標示板

 今回は大磯での関わりをご案内します。明治25年(1892)9月、原は病気の妻・貞子を転地療養させるため、大磯町の禱龍館を訪れました。ここは、明治20年に松本順(軍医総監を退官した後)が日本初の海水浴場を開設され、旅館と病院を兼ねた旅館として富裕層がよく利用していました。会員制で、渋沢栄一・安田善次郎・榎本武揚などがメンバーでした。妻・貞子は約2週間滞在、翌年の8月にも3週間滞在し、その時に南下町に住む小島初五郎と縁ができ、小島家の敷地内に別荘を建てることを勧められます。1894〜95年の日清戦争中、外務省の職務は多忙を極め、原は避暑・避寒の為に東京を離れて静養するゆとりはありませんでした。

 この間、戦争指導の激務により、陸奥宗光外相は持病の肺病を悪化させ、1895年6月から大磯で静養生活に入っていました。陸奥は、既に前年12月に大磯に別荘地を取得、日清戦争を振り返った回顧録「蹇蹇録」を執筆したり、伊藤首相や自由党関係者と面会、「聴漁荘」と命名された簡素な和館で療養中心の生活を送っていて、原は何度も陸奥を見舞いました。その為にも大磯に別荘をもった意味があったのでしょう。しかし、病は好転せず明治29年(1896)5月30日に外相を辞任し、原はその3日後に大磯の別荘契約を結び、その1ヶ月前に、大磯の伊藤の本邸・「滄浪閣」が落成し、明治32年に伊藤の勧めにより西園寺公望が「隣荘」を大磯に建てました。伊藤・西園寺と大磯で接触する機会が次第に増えていきます。

 原は、同年9月に創立された政友会に入党して、総務委員兼幹事長に就任し、政友会が与党となったときの役職在任中も、大磯で伊藤・西園寺と良く面会したことが「原日記」に書かれています。明治34年(1901)に5回、1902年に10回、1903年に10回、この時期に、大磯は原が伊藤・西園寺と静かに面談し、政友会の前途について語り合う場所になっていました。もっとも陸奥の死後、原は大磯の別荘をそれほど活用しなくなりました。では次回。(敬称略)
 

大磯・二宮・中井版のコラム最新6

大磯歴史語り

明治150年記念連載

大磯歴史語り

第33回「原敬【8】」文・武井久江

11月8日号

大磯歴史語り

明治150年記念連載

大磯歴史語り

第32回「原敬【7】」文・武井久江

10月25日号

大磯歴史語り

明治150年記念連載

大磯歴史語り

第31回「原敬【6】」文・武井久江

10月11日号

大磯歴史語り

明治150年記念連載

大磯歴史語り

第29回「原敬【4】」文・武井久江

9月13日号

大磯歴史語り

明治150年記念連載

大磯歴史語り

第28回「原敬【3】」文・武井久江

8月23日号

大磯歴史語り

明治150年記念連載

大磯歴史語り

第27回「原敬【2】」文・武井久江

8月9日号

あっとほーむデスク

  • 4月1日0:00更新

  • 3月11日0:00更新

  • 3月4日0:00更新

大磯・二宮・中井版のあっとほーむデスク一覧へ

イベント一覧へ

最近よく読まれている記事

コラム一覧へ

  • 大磯歴史語り

    明治150年記念連載

    大磯歴史語り

    第33回「原敬【8】」文・武井久江

    11月8日号

  • 大磯歴史語り

    明治150年記念連載

    大磯歴史語り

    第32回「原敬【7】」文・武井久江

    10月25日号

  • 大磯歴史語り

    明治150年記念連載

    大磯歴史語り

    第31回「原敬【6】」文・武井久江

    10月11日号

大磯・二宮・中井版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2019年11月8日号

お問い合わせ

外部リンク