明治150年記念連載 大磯歴史語り 第43回「吉田茂【10】」文・武井久江
今回は、吉田茂のエピソードをお話しします。彼の豪快で、ウイットに満ちたところをぜひ発見して下さい。
*大磯にいるときの吉田はどんな人?(あるインタビューで側近の方に質問)…厳しい人です。バカヤロー解散の後、新聞記者が邸の周りをウロウロし、散歩先の海岸に穴を掘ってその中に隠れて様子をうかがったりしていました。だからいつもピリピリ。新聞社のカメラマンが写したフィルムなどを機動隊立ち合いで抜き取らせたりしていました。今ではそんなことはありえませんね。 *吉田総理と言えばバラ作りが知られていますが、自ら世話をなさったのですか?…今の駐車場全部がバラ園でした。当時は1万本はありました。バラ会の会長もしていましたが、本人はコガネムシを5〜6匹も捕まえたら、もうやめたと家の中に入ってしまいますので、後が大変でした。 *世界各国からバラが集まっていたとか?…西ドイツ首相のアデナウアーの赤いバラが有名です。他の品名に、ケネディの白いバラ、マリアカラス、前妃殿下のご成婚に贈られたプリンセスミチコ等、この号が発行される頃に吉田邸で満開になっているでしょう。年代が前後しますが、戦後のスパイ騒ぎの時に、2階の書斎の廊下の奥のドアは非常時に突き破ると1階に繋がる通路があり、外に出ると警備の元警察官(70歳ぐらいでしょうか)が助けるという段取りなのですが、当時吉田は60歳後半で「俺より年寄りのお前に助けられる訳にはいかない。何かあったら先に逃げろ」と怒られたとか。 *食べ物や好きなものはどうですか?…吉田と言えば葉巻ですが、ヘンリー・クレーとハバナ産のコロナ、着火はマッチしか使わず、英国からブライアント・アンド・メイ社製を取り寄せていました。お酒は、食前酒はシェリー酒のティオペペ、好んで飲んだのはオールドパーです。駐英国大使時代は、灘の生一本「白鷹」をわざわざ日本から取り寄せていました。初めて土佐から選挙に出た時に「司牡丹」を勧められ「土佐の酒も旨い」と、その後愛飲するようになりました。では次回。(敬称略)
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3月29日