大磯・二宮・中井版 掲載号:2020年10月23日号 エリアトップへ

大磯歴史語り 〈財閥編〉

掲載号:2020年10月23日号

  • LINE
  • hatena
生家の庭にある日本列島をかたどった石組(写真は地図画像を重ねたもの)
生家の庭にある日本列島をかたどった石組(写真は地図画像を重ねたもの)

 弥太郎は三菱商船学校を政府からの依頼で設立しています。明治8年の事です。明治新政府は、我が国海運の確立を急務とし、当時の三菱会社に商船学校の設立を命じた後、明治15年4月に三菱商船学校は官立に移管され東京商船学校となり、さらに改称・統合して現在は東京海洋大学(さかなクンが准教授をしている学校)です。彼は明治11年に設立した三菱商業学校は「日本にはまだ実業に役立つ教育をする学校がない。欲しい人材は自分たちで養成するしかない」と慶應義塾に学んでいた息子の久弥を三菱商業学校の1期生として入学させました。明治時代のビジネススクールです。商業学校は優秀な学生を集め、三菱のための人材育成、三菱の幹部候補生を育てました。

 西南戦争では、三菱は莫大な利益を上げたと叩かれますが、当期利益は93万円でした。これが「莫大」かどうかはともかく、当時の東京市の年度予算を超す数字でした。(ちなみに現在の価値に換算すると、明治時代は約1万倍、大正時代は約3千倍と言われています)約93億円となります。弥太郎は、この利益を鉱山事業などに投資し一大産業資本を形成します。そんな傍ら、東京に大きな屋敷を三つ購入します。一つ目は上野・不忍池・茅町・旧岩崎邸庭園(現在の建物は久弥がジョサイア・コンドルに依頼して明治29年に建て替えられたもので、国の重要文化財)。二つ目は深川別邸・現清澄庭園。三つ目は駒込別邸・現六義園。今日、いずれも大都会の中の貴重な緑のエリアとして、人々の憩いの場になっています。彼亡き後、庭園は息子・久弥により東京市に寄付されました。弥太郎が唯一趣味とした庭園作りは、故郷の庭が最初でした。彼が青年時代に作った庭には、日本列島をかたどった石組が残っています。「日本列島はわが庭の内に有り」と自らに天下雄飛(大きな志を抱いて盛んに活動するの意)し、井ノ口の生家の庭にあります。波乱に満ちた密度の濃い人生を突き進んでいきましたが病魔には勝てず、明治18年(1885)2月7日50歳・胃癌で息を引き取るまで、「志したことの十のうち一か二しか出来ないうちに、こんなことになってしまった。弥之助よ、わしの志を継ぎ、事業をしっかり頼むぞ。いいな〜、ううう〜、ハラの中が裂けるように痛い。もう、何も言わん」。弥太郎の遺志に従い三菱は弥之助が引き継ぎました。さらに久弥、小弥太が継承し日本の近代化と「所期奉公」の精神として、代々引き継がれていきました。「所期奉公」については、次回に。(敬称略)
 

大磯・二宮・中井版のコラム最新6

大磯歴史語り

大磯歴史語り

〈財閥編〉

11月27日号

大磯歴史語り

大磯歴史語り

〈財閥編〉

11月13日号

大磯歴史語り

大磯歴史語り

〈財閥編〉

10月23日号

大磯歴史語り

大磯歴史語り

〈財閥編〉

10月9日号

大磯歴史語り

大磯歴史語り

〈財閥編〉第2回「岩崎弥之助(弥太郎)」 文・武井久江

9月25日号

大磯歴史語り

明治150年記念連載 〈財閥編〉

大磯歴史語り

第1回「岩崎弥之助」 文・武井久江

9月11日号

ラスカ茅ヶ崎・平塚・小田原

11月26日(木)から29日(日)はJREポイント5倍キャンペーンを実施!

http://www.lusca.co.jp/

<PR>

あっとほーむデスク

  • 4月1日0:00更新

  • 3月11日0:00更新

  • 3月4日0:00更新

大磯・二宮・中井版のあっとほーむデスク一覧へ

イベント一覧へ

染織の服など50点

染織の服など50点

ギャラリーさざれ石

11月27日~12月7日

大磯・二宮・中井版のイベント一覧へ

最近よく読まれている記事

コラム一覧へ

大磯・二宮・中井版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2020年11月27日号

お問い合わせ

外部リンク