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大磯歴史語り〈財閥編〉 第10回「岩崎久弥」文・武井久江

公開:2021年1月22日

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帰国から2年後頃の久弥
帰国から2年後頃の久弥

 久弥は明治19年(1886)、20歳の時にアメリカに渡ります。渡米しても質実剛健は変わりませんでした。フィラデルフィアの安下宿に生活して、1年半の準備期間の後、ペンシルバニア大学ウォートン・スクールに入学しました(現在の私たちにも、とても参考になります。学ぶための語学を学び、準備をして臨む。入学したら、他の学生とスタートを一緒にすること)。ウォートンの学生は全部で30名、日本人は久弥1人です。3年次にはアダム・スミス(イギリスの経済学者)の国富論・政治経済学・米国産業史・合衆国憲法・米国政治経済史・論理学など11科目の単位を修得。4年次には、合衆国行政学・商法・ミルの経済学・会計学・人口統計概論・財政学など9科目の単位を修得して、明治24年に25歳で卒業しました。久弥は、5年間のアメリカ生活で多くの事を学びました。何故こんなに詳しく彼の留学・勉強の過程を書いたかというと、最初の勉強の線路は、父・弥太郎が引いてくれましたが、確実に久弥は三菱を牽引していくべき基礎を、自分の意思で学び、今後の三菱の遠大な目標をこの地で得たのです。

 様々な産業が勃興し、鉄鋼王カーネギーや石油王ロックフェラー、金融王モルガンを輩出し、勢いのあるアメリカでした。鉄鋼・鉄道車両・工作機械・繊維などの諸工業が栄え、ペンシルバニア鉄道など鉄道建設が盛んな時でもありました。久弥は専門的な知識を修得する一方で、日本の生活では考えられない自由な時間も得ました。読書をし、思索し、議論もしました。フィラデルフィアの上流階級の子弟、大学の教授、プロテスタントの牧師など様々な人達との交流を通じて、久弥は社会的な地位のある者のあるべき姿を学びます(この経験は、娘・澤田美喜の生き方にも大きな影響を与えました)。後に外交官になり駐日公使も務めたロバート・グリスコムとは特に交友を深め、卒業にあたって一緒に欧州を旅行しました。大西洋航路では、グリスコムは上等船室、久弥は船底の下等船室でした。旅も終わりに近づき、ペテルブルグの毛皮店で久弥は日本へのお土産を求めました。明治の富豪の御曹司に餞別をくれた人は多かったのでしょう。久弥が高価な毛皮を大量に発注するのを目にしたグリスコムは、びっくり。普通の学生として過ごしていた今までの久弥からは想像がつかなかったのでしょう。岩崎家のゴッドマザー・美和が書き残した訓戒にある「富貴になりたりといえども貧しき時の心を失うべからず」との1行を守りました。では次回。(敬称略)
 

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