大磯・二宮・中井版 掲載号:2021年3月5日号 エリアトップへ

大磯歴史語り〈財閥編〉 第12回「岩崎久弥と家族について」文・武井久江

掲載号:2021年3月5日号

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御門と澤田美喜記念館
御門と澤田美喜記念館

 明治26年、三菱合資会社の社長に久弥は就任します。今回は、久弥の家族について話します。その翌年(1894年)の7月に保科正益子爵の長女・寧子(20歳)と結婚、久弥28歳の時でした。保科家は上総国飯野の旧藩主で先祖は会津藩主・松平家に繋がります。母方は、旧宇和島藩主。寧子は華族女学校を首席で卒業、津田梅子について英語を学び、和歌・絵・邦楽音曲・文芸の趣味も広く、育った環境が全く違うにも関わらず、岩崎家の家風によく順応し家庭を守った方です。久弥は子煩悩でユーモアを言っては家族の者を笑わせたりしましたが、礼儀には厳格で特に長幼の序列にはやかましかったです。子弟の教育としては、女の子は手許に置いてお姫様のように育てましたが、男の子の教育には厳格でした。高等師範付属中学に入学するころから本邸外に住まわせ、贅沢を一切させない粗衣粗食の生活でした。その子供達は、男の子が3人、後に女の子を3人もうけます。上野の茅町を本邸として、戦後GHQに接収されるまでの50年間久弥はこの地で暮らしました。子供達は、長男・彦弥太は三菱合資会社副社長。次男・隆弥は三菱製紙取締役会長、妻は池田成彬の長女です。三男・恒弥は東京海上火災保険取締役。そして長女・美喜は外交官・澤田廉三と結婚し、戦後大磯にエリザベス・サンダース・ホームを開設し、混血孤児の養育にあたりました。次女・澄子は甘露寺義長伯爵の次男・方房と結婚、残念なことに34歳で亡くなられています。三女・綾子は福沢諭吉の孫・堅次と結婚。昭和55年に美喜がスペインで亡くなる時に一緒に赴いた方です。2018年1月11日に109歳で亡くなられました。今回は久弥の家族を紹介するにあたって、大磯に関わります澤田美喜について、今回と次回に繋ぎ語らせて頂きます。

 美喜は、明治34年(1901年)9月19日生まれ。ご自分の生まれた西暦から、1と9の数字を、後に占った方がいて変わった存在だと、またインド洋を航海している時にインドの占い師にも同じく変わり者と、そんな運命を負わされたと後に語っています。お七夜の命名の夜、美喜の名の起こりは、曾祖母の美和の美、祖母の喜勢の喜を頂き、美喜と名付けられました。名付け親は、三菱の2代目の社長・弥之助です。お披露目は、築地・ひさごやです。父・久弥は明治34年6月から11月まで欧米を視察していたので、命名式に立ち会うことが出来ませんでした。コロナ自粛のため、澤田美喜記念館が休館していますので、美喜さんを中々偲ぶことができないのが残念です。次号で業績等を伝えます。(敬称略)
 

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