大磯・二宮・中井版 掲載号:2021年4月9日号 エリアトップへ

大磯歴史語り〈財閥編〉 第15回「岩崎久弥」文・武井久江

掲載号:2021年4月9日号

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東京の旧岩崎家本邸
東京の旧岩崎家本邸

 前回まではご家族、特に大磯に関わります澤田美喜のお話をさせて頂きました。本来の3代目岩崎久弥に戻ります。明治27年(1894)保科寧子と結婚、東京・駒込・六義園に新居を構えます。六義園は、久弥の父・弥太郎が川越藩主・柳沢吉保が元禄15年(1702)に築園した「回遊式築山泉水」の大名庭園を明治時代に入り、収得しました。久弥は、新婚の2年間を暮らします。その後、昭和13年(1938)に岩崎家より東京市(都)に寄付され、昭和28年(1953)に国の特別名勝に指定された文化財です。この後久弥が50年以上暮らすことになります、茅町・岩崎家本邸(越後高田藩・榊原家中屋敷)をはじめ、東京には9つの都立庭園がありますが、そのうちの4つの庭園(旧岩崎邸庭園・六義園・清澄庭園・殿ヶ谷戸庭園)は三菱財閥創業者一族の岩崎家の庭園です。私は全て巡りましたが、素晴らしいの一言です。初代・弥太郎の夢は庭園を造ることでした。その夢を5代(財閥解体が無ければ、久弥の長男・彦弥太が継ぐ予定でした)で継ぎ、最後の殿ヶ谷戸は彦弥太が国分寺別邸としました。茅町・岩崎家本邸は、久弥がジョサイヤ・コンドルに設計を依頼し、明治29年に完成して、昭和20年にGHQに接収されるまで、暮らしの土台になった場所です。イギリス17世紀初頭のジャコビアン様式を基調にした傑作で、久弥が留学していたペンシルヴァニアのカントリーハウスのイメージを取り入れた木造の建物です。現在は明治の代表的洋館建築として、古いレンガ塀や広い芝生の庭園とともに国の重要文化財に指定されています。

 一方、仕事の面では造船事業で、日本郵船の欧州航路開設のため6000トン級貨客船を6隻造ることが決定され、長崎造船所で常陸丸を建造しています。当時は、この規模の船舶はイギリスでしか造れず、イギリスの技師が長崎に派遣されましたが、異常なまでの厳しい検査が実施されたため、工期が遅れ三菱は膨大な損失を出しました。しかし、6000トン級の実績が出来たことで、アメリカ航路の豪華客船の発注や、大型軍艦の建造も任されることになり、造船王国と言われるまでに発展しました。日露戦争の後、造船業界を二分していた某造船所の経営が行き詰まり救済合併の打診があった時、造船部の幹部は天下を取ったように久弥に告げますが、久弥は「それはいけません、合併して競争がなくなると気が緩みます。あくまでも両社が競争して安くて立派な船を造ることが、お国のためです」と。久弥らしいエピソードです。(敬称略)
 

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