大磯・二宮・中井版 掲載号:2021年10月22日号 エリアトップへ

大磯歴史語り〈財閥編〉 第28回「三井八郎右衛門高棟【7】」文・武井久江

掲載号:2021年10月22日号

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三井八郎右衛門高棟(大磯町郷土資料館より)
三井八郎右衛門高棟(大磯町郷土資料館より)

 前回までに、なぜ彼が第十代三井家を継ぐことになったかはお話ししましたが、簡単にまとめてみます。高棟は、安政4年(1857年)第八代当主・三井高福の八男として京都に生まれました。明治5年15歳から2年間米国に留学。帰国した後、健康に優れなかった長兄・第九代当主・高朗(子が無かった)の順養子となり、明治18年(1885年)に第十代当主になりました。大磯で彼の事を語ると、生い立ちのみならず、現在の大磯城山公園の中にあった建物(当時は希有な建物でしたが、その時代の思いがこもった素晴らしい建物。現在は北蔵・東蔵しか現存していません)のお話や、犬山に移築されました茶室・如庵(現在公園の中にレプリカですが城山庵として茶席もあり、お茶も頂けますし、お茶会も出来ます)のお話が出て参りますので、高棟自身のお話と建物も含みましてのお話をしていきます。

 あの地を別荘として、第5代軍医総監・橋本綱常から収得したのは明治20年代後半で、建築したのは明治31年、当時はまだこの地でゆっくりすることは出来ませんでした。彼が三井家当主を相続した時は、同族の中でも年少の家長で、三井家の改革を先頭を切って行うにはまだ少し時間がかかりました。明治33年に三井同族会の議長になり、明治42年11月に三井合名会社の社長に就任。それ以後は盟友と言われた団琢磨と出会い、理事長・団と共に三井財閥の黄金期の時代を築いていきます。しかし、世の中が第一次世界大戦による好況から世界恐慌による不況へと経済情勢が大きく変わる中で黄金期を迎えたことから世の反発を受け、昭和7年5月15日血盟団事件の犠牲となり団琢磨が暗殺されてしまいました。団を失った高棟は当時75歳と高齢でもあり、その悲しみは中々癒えることはありませんでした。事件翌年の昭和8年3月31日、息子の高公(たかきみ)に家督を譲り、同族会議長及び三井合名会社社長を辞任、現役を引退し大磯の別邸・城山荘の再建に着手していきます。何故かと言いますと、明治31年に建築しました別荘は、実は関東大震災で倒壊していたのです。その修復を本格的に昭和8年から始めることにしました。高棟は実はとても建築に造詣が深く、大磯の別邸に関わるまでに三井財閥のシンボルであります三井本館・迎賓館三井倶楽部・自邸の今井町本邸など、幅広い建築体験をしています。隠居後の住まいとして城山荘の工事に取り掛かってからの彼の思いを引き続き語りたいと思います。(敬称略)

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