神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS

大磯歴史語り〈財閥編〉 第30回「三井八郎右衛門高棟【9】」文・武井久江

公開:2021年11月26日

  • X
  • LINE
  • hatena
MOA美術館にある唐門(左)と片桐門
MOA美術館にある唐門(左)と片桐門

 三井八郎右衛門高棟は、今回で最終回です。次回は大磯にもう2軒、三井家の別荘がありました。三井守之助・三井養之助です。年内はこのお二人のお話で締めくくりたいと思います。

 戦後、高棟が昭和23年(1948)に91歳で亡くなりましたが、戦後の財閥解体により、ほとんどの土地や建物が三井家の手から離れました。昭和45年(1970)に城山荘は名古屋鉄道株式会社の所有になりました。如庵と幾つかの建造物は移築されましたが、多くは解体され、部材として残されたものもあります。先日熱海にありますMOA美術館に行ってきました。二つの門が移築されていました。唐門と片桐門です。如庵、及び重要文化財旧正伝院の移築に伴う工事は、高橋誠一郎会長を中心に如庵保存協議会が結成され、解体については建物全般を丁度、人体のレントゲン写真を撮るように細かく分けて、壁際に打たれた釘の形状等で時代別の鑑別をし、昔の大壁はそのまま外す「大ばらし工法」が採用されました。実はこの時点で3回解体して運ばれているのです。一番最初は、京都から明治41年に東京今井町・本邸に運ばれ、昭和13年に大磯に移され、この時も同じ方法の「大ばらし工法」で現在の「有楽苑」に運ばれたのです。凄い技術ですね。大磯に運ばれてきた時には、下草までも運んだと聞いています。運搬についての方法は全て美術輸送車を使い、当時数億円の代価に対する損害保険を付し、東名高速を時速30から40キロメートルの低速で慎重に運びながら行政県が代わる毎に位置と時間を報告するという最大の手当てをしながら大磯町から移動したそうです。その後、城山荘にあった「旧本館」「降鶴堂」の解体の後、「洗心寮」「大雄殿」「正門」は、滋賀県仰木の里に大磯の城山荘と同じような地形に再び移築され、現在は「覚性律庵」という信仰の場として多くの里人に親しまれていると聞いています。また「正門」脇にあった「立札席」の「松聲寮」は、広島県竹原市の陶芸家・今井政之の「迎賓・茶室」として、城山窯にあった登り窯は、その材料一式を再用して「豊山窯」として竹原の地で活用されています。大磯の「城山荘」の創建の精神はこの様に各地で大事に取り扱われて、今なお各地で多くの人に尊ばれ、息づいていると聞いています。また、現在所有者が変わっているかもしれませんが、それはそれで新たな元気を与えていると思います。三井八郎右衛門高棟の精神に乾杯です。(敬称略)

大磯・二宮・中井版のコラム最新6

乱打戦は制してこそ

ベルマガ通信 3月17日ホーム湘南4-4浦和

乱打戦は制してこそ

J1第4節vs浦和レッズ

3月22日

大磯歴史語り〈財閥編〉

大磯歴史語り〈財閥編〉

第72回「浅野総一郎㉒」〈敬称略〉   文・武井久江

12月22日

大磯歴史語り〈財閥編〉

大磯歴史語り〈財閥編〉

第71回「浅野総一郎㉑」〈敬称略〉   文・武井久江

12月8日

残留を引き寄せた主将の一撃

ベルマガ通信 11月25日アウェー湘南1-0横浜FC

残留を引き寄せた主将の一撃

裏天王山の軍配は湘南

12月1日

勝って兜の緒を締めよ

ベルマガ通信 11月11日ホーム湘南2-1名古屋

勝って兜の緒を締めよ

J1第32節vs名古屋グランパス

11月17日

大磯歴史語り〈財閥編〉

大磯歴史語り〈財閥編〉

第70回「浅野総一郎【20】」〈敬称略〉   文・武井久江

11月17日

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 3月29日0:00更新

  • 3月22日0:00更新

  • 3月15日0:00更新

大磯・二宮・中井版のあっとほーむデスク一覧へ

コラム一覧へ

大磯・二宮・中井版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2024年3月29日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook