大磯・二宮・中井版 掲載号:2022年1月28日号 エリアトップへ

大磯歴史語り〈財閥編〉 第34回「安田善次郎【2】」文・武井久江

掲載号:2022年1月28日号

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安田善次郎生家跡の井戸
安田善次郎生家跡の井戸

 初代・安田善次郎は富山藩の下級武士の子として生まれました。安田家は半農半士の家柄で、善次郎は武士身分での栄達が困難と悟り、江戸で商人になる事を志します。1858年、善次郎は反対する父を説得し、江戸で丁稚奉公を始めるまでの生い立ちについて今回は語ります。

 彼は旧暦天保9年10月9日(1838年)、富山城から北西に500メートルほど離れた婦負(ねい)郡で生まれました。戦後、生家跡は安田記念公園として整備されており、公園の一角に「松翁安田善次郎誕生地」という記念碑が立っています。側には産湯を浸かった井戸もありました。安田善次郎の直系の先祖は、鎌倉から現在の富山市に移り住み、戦国時代に安田城があった事から、屋号を「安田家」としました。父・善悦の夢は富山藩士の権利株を買って武士になる事でした。念願かない士籍に列しましたが、武士としては最末席の「お長柄」でしたので、安田家・四男六女の家族を養ってはいけませんでした。さらに天保の飢饉の影響で栄養状態が悪く、当時は劣悪な医療事情から、善次郎と妹3人だけが成人し、他の兄弟は亡くなったことは彼にとっても悲痛なものであったに違いありません。それからの彼は安田家を支えるために働きました。

 7〜8歳になると農作業を手伝い始めました。まだ暗いうちから田んぼに出て農作業をして、朝の8時頃一旦家に帰り、朝食をとりそれから寺子屋で勉強しますが、富山の寺子屋の特徴は、和算に力を入れていて、「富山の薬売り」は藩財政を潤す大切な産業でしたので、寺子屋でも、商売に必須である計算を早いうちからしっかり教え込まれます。戦後町に薬局が出来るまで、富山の薬売りの行商が全国の薬の需要を賄っていました。薬売りの間では、嘉永年間から複式簿記・複利計算もこなしていて、寺子屋から帰ると、また農作業を日暮れまで働き、夜は読書や習字にいそしみ食事の後でも箸に茶をつけて膳の上で字を書いたり(この癖は後々まで残った)していました。後に、習字に自信がついたところで、夜には写本の内職も始めるようになりました。5年間の塾での学業を終えた彼は、12歳ごろから野菜や仏事のお花の行商を始めました。富山と東岩瀬を結ぶ富岩街道、当時の東岩瀬は北前船の寄港地として賑わっていました。そこで、野菜や花を売った代金で、魚を仕入れそれを富山で売りさばけば、二倍の利益を得る事を北前船(母港に戻る前に寄港地の特産物を買う〜倍船と呼ばれていた)で学びました。(敬称略)

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