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大磯歴史語り〈財閥編〉 第42回「安田善次郎【10】」文・武井久江

公開:2022年5月27日

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安田不動産大磯寮の玄関横にある灯篭
安田不動産大磯寮の玄関横にある灯篭

 善次郎は、安田一族の結束を固めるために「保善社」なる私盟組織を作りましたが、それは安田銀行の資本金を管理する目的でした。彼が50歳という年齢を迎え、父・善悦が他界した年、明治20年(1887)7月に発足する保善社の創立意図をこのように述べています。「予は中興の財産といえども一己専有のものとせず、すなわち御父祖の預かりものと為し、其の財産をもって安田銀行の資本と為す」。保善社規約、第41条「安田家現在の財産を百万円と定め、これを安田銀行の資本金とする」。この年、善次郎にとって父・善悦を亡くした喪失感の強い年でしたが、逆にそれを埋めるように事業拡大に邁進しました。資本金を100万円に増資した安田銀行は後年、安田銀行の持株会社に転ずるこの「保善社」と「一心同体のもの」として経営され、以来飛躍的に発展していったのです。

 これから後の銀行救済は、並大抵ではできなかったであろうと想像します。この後の銀行は系列への参入や離脱・合併など目まぐるしくデータが変わりますので、結果だけ書きます。善次郎は、約70行の破綻銀行を支援・救済しています。第三銀行と安田銀行だけだったはずが、このときすでに16行を擁しています。このうち「根室」「金城貯蓄」「群馬商業」「明治商業」銀行以外は、経営破綻の危機に瀕して救いを求められた銀行です。「信濃銀行」「九十八銀行」「大垣共立銀行」「京都銀行」「日本商業銀行」「百三十銀行」「二十二銀行」「十七銀行」「肥後銀行」「高知銀行」(現・安田不動産・大磯寮の玄関横にある三基の灯篭は高知銀行から寄贈されています)を引き受け、蘇生させました(銀行によっては本店のみ、あるいは何行かは支店のみの場合もあります)。そのことが「実業之日本」に載っています。この雑誌の記事から16行のうち10行が救済した銀行ですが、実際は吸収・合併・分離その他さまざまなケースがあって安田系の銀行が一つになった大正12年(善次郎亡き後)までの間に、実は70ほどの銀行を救済しました。善次郎が亡くなるまでの40年間に「恐慌期」など様々なピンチがありました。明治の代表的な雑誌「太陽」に「安田家の手腕」の記事で「三井が一流か三菱が一流か世の疑問なれども、この両家に次ぐは安田家なることはほとんど争うべからざるが如し」とあります。支援・救済は安田流の慈善心からに間違いはないでしょう。父・善悦の言葉・「陰徳を積め」を黙々とこなしていきました。(敬称略)

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