大磯・二宮・中井 コラム
公開日:2023.03.24
大磯歴史語り〈財閥編〉
第57回「浅野総一郎【7】」文・武井久江
挫折の数が増えるたびに、そこから学ぶ何かの数も増えていく。そんな総一郎の人柄が何故か好きになってきました。総一郎は本当に懲りません。次は何が飛び出すのか、わくわくします。7番目に目を付けたのが、「浅野蓆商」です。でもすぐに始めることは出来ませんでした。当然ですね、婿養子先に多大な迷惑をかけて、実家に戻ってすぐに取り掛かるわけにはいきませんでした。再び、薮田村に戻った総一郎は、村人から「借金を作った、"ほら吹き"」と嘲笑されました。外出すれば噂話が耳に入ってきます。内心では「" 井の中の蛙"には分からない。俺は必ず成功する」。そんな気持ちを、唯一信頼している友達・善之丞(山崎翁の息子)に話していました。14歳から9年、事業が失敗したからといって姿をくらますわけにはいかない。しかし、どんな時も総一郎の真っすぐな熱意を認めてくれる人間が必ず現れました。総一郎は、どこか憎めない所があり、その一生懸命さ、卒直さに、周囲は親身になってしまいます。失敗も多いが、可能性を大いに秘めた積極的な行動や発想を、他の人間にまねできない、新しい試みを果敢に実行しました。そんな姿を間近に見た者は、金銭的な事だけで総一郎を責めることはしなかったのです。
氷見の町で、親友の余川が「浅野の為なら」と氷見茣蓙町(ござちょう)にどえらい店を作りました。幼友達ですので、総一郎が大きなものが好きなのを良く知っていて、間口九間半(約17メートル)、奥行二十七間(約49メートル)の大店です。これは普通の店の3倍の広さです。友達だからと、家賃も一両しか取りませんでした。母・リセも手伝い、薮田村から米や麦、自家製の味噌や醤油、店員も雇いました。こうした食料品や蓆だけではなく、能登の七尾酒、高岡の火鉢や鉄瓶、能登の蚊帳、越後の五穀、北海道の鮭なども販売しました。矢継ぎ早に新たな商品を仕入れました。山崎は、総一郎の熱心さに改めて驚嘆し「一万両の金を持たせれば、銭屋五兵衛のようになる」と目を細めました。しかし、商売を拡大すればするほど借金を重ねました。利息を払うだけで青息吐息でした。起死回生のこの店も、儲ける事より商売を拡大することに熱心だったことから、この店も経営が行き詰まりました。ついに高利貸しから金を借りることになりました。山崎に資金を出してもらった「浅野蓆店」は破綻が確実になりました。「山崎さん、俺は七転び八起きでは足りないほど、失敗しとるわ」。山崎は「それでもいいわ。9転び10で起きる、大事なのは起き上がる事だ」。山崎のこの言葉を聞いて、総一郎は奮起できそうな気がしてきました。「ともあれ立ち上がる事が大切だ」。次回に続く。
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