大磯・二宮・中井 コラム
公開日:2023.04.14
大磯歴史語り〈財閥編〉
第58回「浅野総一郎【8】」文・武井久江
今回の失敗は、総一郎にとって人生の大ピンチです。東京に向かうきっかけになります。何故かというと、今迄の失敗の事業の出資は家族や、知人でした。情状酌量が有りました。今回はいけません、高利貸しから借金をしてしまいました。
何故こうなったのか、今は私にも解ります。総一郎は、商売を拡大する事に熱心だったのです。その前にまず儲けないといけないはずなのに。
ここが後に総一郎が「日本の近代を作った男」として活躍する人になる謂れですが、まだそれには早すぎた。今現在の状況では、取引先が信用しなくなるし、お金を貸してはくれない。現金でないと、商品は渡さないと言われ、八方塞がりでした。
そしてついに、高利貸しとして有名だった「能登のお熊」から三百両を借りてしまったのです。この金で再生を図ります。一時は上手くいきましたが、長続きはしなかった。融資を受けた金の利息が高く利益が圧迫されたのです。
明治4年4月の事でした。借金取りが入れ代わり立ち代わり薮田村の家に押しかけます。母・リセが機転を利かし、総一郎に家には戻るなと伝えます。さすがの総一郎も追い詰められます。
総一郎は山崎に詫びに行きます。せっかくお金を出してもらったのに又、失敗してしまった。でも山崎は凄かった。「金の事は気にするな、はじめから戻ってくるとは思ってないわ」更にこう続けて言いました。「七転び八起きという言葉を知ってるか」総一郎は「でもおらは、七転び八起きでは足りないほど、失敗しとる」山崎は「七転び八起きで足りなければ九転十起き、大事なのは起き上がる事だ」この言葉で総一郎は、又奮起することが出来そうな気がしました。
翌月の5月5日早朝、山崎と母・リセは総一郎を薮田村から逃がすことにしました。夜逃げです。
薮田村でのお話がとても長かったと感じられた方も多いかと思いますが、私はどんな著名な方達も,ふるさとでの子供時代・青年期が彼らの人生を作ると思っています。特に総一郎は、ふるさとでの失敗があったからこそ、東京へ出てから「俺の新たな人生だ」と強く心に刻み歩き出しました。
母からもらったお金が、旅の途中・使ったお金を引くと27両、これを元手に第2の人生のスタートです。東京は全く解りませんから、情報集めからと宿の主人の紹介で、朝風呂が社会を知る良い勉強の場になりました。そこで聞いた、最初の話が東京は火事が多い、このままでは東京の財産が焼き尽くされる。この時の直感が、耐火性の高いセメント業へと繋がりますが、まだもう少し先の事です。
次回から、総一郎巻き返しのスタートです。
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