大磯・二宮・中井 コラム
公開日:2023.04.28
大磯歴史語り〈財閥編〉
第59回「浅野総一郎【9】」文・武井久江
明治4年5月に夜逃げをして、故郷を後にしたのが24歳の時。残された母はその借金取りを相手にどう切り抜けたのか。心が痛みますが、総一郎が東京へ出た当初の目的は、1万円を作り、その半分で借金を返し、残りで新しい事業を始める事でした。
ここで、両と円のお話をします。母から33両をもらい、東京までの道のりで使った宿代などを引くと27両。実は彼が上京する9日前の5月10日。明治政府は新たな政策を導入しました。新貨条例です。旧1両が新1円に交換されることになり、「円」の始まりです。
新通貨で換算すると、総一郎の所持金は27円になります。ここから1万円を稼ぎ出す計画で東京の生活をスタートさせます。私などからすると、凄い計画だと思ってしまいますが、1ヶ月の家賃・6円の時代の1万円は大金にもかかわらず、なんと資本を持たない彼はわずか3〜4年でそれを達成してしまうのです。どんな生活からこの計画を達成するのか、順番にお話をしていきます。
更に彼は、東京に出た時は髷を結っていたので、明治時代になるとその髷を切らなくてはいけないことになっていましたが、1万円が貯まるまで髷は切らないと、周りの人達に口外していました。でも彼は夜逃げをしたことから東京での暮らしは偽名でのスタートになりました。名は「大熊良三」、屋号は「大塚屋」、ここから巻き返しの人生の始まりです。
最初は、初期投資が殆どかからない水売りの仕事で「冷やっこい、冷やっこい」と言いながら水に砂糖を入れて、1杯1銭で売ります。
初日で24銭の売りあげがあり、毎日売り歩き、1日平均40銭売り上げてまずまずの出来でしたが、前にも有りましたよね、暑い時期だけ売れる商品。これもそうでした。2ヶ月が過ぎたころから秋になり、水売りは、ぱったり売れなくなりました。
次なる仕事は、竹の皮を売る仕事に目を付けます。竹の皮も、水売りと同じで資本がいりませんでした。同郷の知人を頼り、現在の千葉にあたる上総国の姉崎に三つの村が有り、その一つを紹介されました。
ただ、この仕事は手間がかかりました。竹藪から竹の皮を取り、それを綺麗に伸ばしてからの販売です。時間がある自分にうってつけと、この仕事に取り組みました。
初日の買い付けで、3円で36貫(1貫は3・75キロ)。2日目、3日目も大量に買い付けました。合計3駄。駄というのは、馬1頭に背負わせる分量です。つまり、3頭の馬に乗せる分量を買い付けたのです。
これを元手に、氷見から上京して、わずか4ヶ月で横浜に店を構えることになります。なんという幸運。
次回は結婚、更なる飛躍をします。
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