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小田原・箱根・湯河原・真鶴 人物風土記

公開日:2017.06.17

小田原サーフィン協会の初代理事長を務める
宮原 元紀さん
鬼柳在住 37歳

還るべき場所は海

 ○…「玉石のすれる独特な音が格別」と少年のように目を輝かせる酒匂川河口付近の海。波のトンネルを滑り抜ける、サーフィンの醍醐味とも言うべき「チューブライディング」を成功させた者こそ体感できる特権だ。「世界に誇るべきサーフィンのポイントなど、たくさんの魅力がある」と胸を張る小田原の海。「もっと地域活性化にも生かせるはず」という思いを胸に今春、地元のサーファーが協会を立ち上げた。

 ○…「ただ女の子にもてたかっただけ」。友人の誘いを受けて18歳でサーフィンを始めた理由を、いともあっさり打ち明ける。しかし、浮わついた気持ちが消えるのに時間はかからなかった。「ちょっとうまくなると、次の課題が見えてくる。単純そうで難しい。だからこそ、どっぷりはまってしまった」。結婚して3人の子宝に恵まれた今もなお、週に5日はボードを小脇に抱えて海へ向かう。「日没の早い冬は10分位しか入れないこともあるけれど、それでも構わない。入れない日が3日も続いたら、ひからびてしまうんです」

 ○…サーフィンを始めた頃、先輩たちにまず教わったのは海岸のゴミ拾いだった。山から川をつたって流れ着く砂や石が海底に蓄積し、良い波を生み出す。海に対峙するうちに、いつしか自然に対する畏敬の念も生まれた。「日の出でキラキラ輝く海に入る時は、波のコンディションが悪くてもプラス30点。水がきれいだとプラス50点ですね」

 ○…180cm72kg。「サッカー日本代表選手と同じスペック」と冗談めかして語る体格は、20年間まったく変わっていない。少しでも体重が増えれば、テイクオフ(滑り出し)の感覚が狂ってしまうからだ。筋力トレーニングに節制した食生活。サーフィンとストイックに向き合うのは、レジャーではなくスポーツとして捉えているからこそ。「年齢に応じた目標をもって死ぬまで健康で続け、最期は海に還りたい」

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