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公開日:2026.01.01
100年前に競馬場
震災復興目的で設置
小田原城の北西に広がる城山・谷津の住宅街。かつてこの地には競馬場が存在した――。2026年は午(うま)年。震災復興の希望を乗せて駆け抜けた「小田原競馬場」の歴史をひもとく。
小田原競馬場は1925(大正14)年に開場した地方競馬場。「花岳(はながたけ)競馬場」とも呼ばれ、23年9月に発生した関東大震災からの復興を目的に設置された。地方競馬全国協会の『地方競馬史』によると、当時の神奈川県独自の競馬規則により、県内の各都市で競馬場の建設が進められたという。
建設地となった谷津の窪地は、周囲の段々畑が自然の観客席となり、レースを俯瞰できる「天然の円形スタジアム」であり、競馬開催に適した地であったといえる。
第1回の開催は同年10月1日から3日間行われ、予想を上回る盛況ぶりを見せた。小田原市立図書館発行の『一枚の古い写真』によると、ある年の5月に行われた競馬には、6万人もの見物人が押し寄せ、投票馬券は1日で8千枚以上に達したという。
活況も5年で閉場
活況を呈した小田原競馬場だったが、1930(昭和5)年の開催を最後に、翌年には県からの認可が下りず、わずか5年ほどで閉場した。その理由については、地方競馬規則改正以降、県下の競馬場設置数制限の波に飲まれたことや、経営体制への批判など諸説が語り継がれている。
住宅地に往時の名残
小田原市城山の城源寺は、競馬場の建設にあたり寺領の多くを提供したという。現住職の古林哲茂住職は「当時、寺に訪れる人は競馬場のコースを渡ってきたという話も聞く」と話す。
寺の周辺にある電柱には「競馬場」と書かれたNTT東日本の番号札が掲げられ、一帯がかつて競馬場であったことを偲ばせる。
また、同寺の境内には小田原ゆかりの詩人・北原白秋が競馬場の情景を詠んだ『祭りの競馬』の詩碑が建立されている。
―小さな白いお月さま 朝から祭りを見に来ても まだ馬がそろわぬぞ まだ馬がそろわぬぞ―
現在は閑静な住宅街が広がるこの地域。かつては数万人もの群衆の歓声と、競走馬の蹄音に包まれていた。
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