「ララ物資」生みの親は日本人 古屋達夫さんが一冊の本にまとめる
「『ララ物資』誕生の父は、日系人浅野七之助である」と言われても、これを聞いて素直に頷ける日本人はきわめて少ないのが実態である。浅野七之助という人物はともかく、「ララ物資」その物についてさえ知らない人も多く、その恩恵を受けたお陰で生き延びることができた人たちは、すでに70を超えているという現在では、無理からぬことであるとは思う−−。
このような書き出しで、まえがきが始まっているのが、自家製本「『ララ物資』誕生の真相」。著者は南足柄市在住の元小学校長の古屋達夫さん(85)。古屋さんは今春発刊された史談足柄(第51集)に「隠されたララ物資誕生の真相」という題名で原稿を寄せており、そこで書き足りなかった部分を加えて今回まとめたもの。B5判で約80ページ。パソコンで打った原稿を自らプリントして約60部を製本し、福祉関係者などに寄贈した。
ララ物資の「ララ」とは、アメリカ政府公認「アジア救援公認団体」(Licensed Agencies for Relief in Asia)の略称。この団体を通じて戦後日本に1946年から1952年まで、推定当時価格400億円に相当する物資が届けられた。贈られた品物は食料、衣料、医薬品、学用品など多岐にわたった。
「日本人の命を救ってくれたララ物資について、日本人の誰もが戦勝国アメリカ国民の人類愛から生まれた、ありがたい救援物資だと思っているが、真相は祖国の窮状を救おうとした同胞、日系人による日本救援運動が母体だった」と古屋さんは語る。その活動の中心人物が朝日新聞社の通信員、日米新聞社編集局長などを務めたサンフランシスコ在住の浅野七之助さん(岩手県出身)だった。当時のアメリカの国内情勢では日本救済を目的とする公認団体の設立は難しく、アメリカ人、エスタ・ローズ女史が大きな尽力をしてくれた。この埋もれた史実は1986年に作家の上坂冬子さんが中央公論で発表。2009年にはテレビ東京で「8000億円を集め日本を救った 浅野七之助」として放映された。浅野さんの妻・なかさんは、南足柄市塚原出身で古屋さんの母親の妹にあたる。生前、古屋さん宅にも何度か夫婦で訪れたことがあるという。
「多くの人達に真実を知ってもらいたい」。著書は古屋さんが長年に亘り集めた資料がわかりやすく整理され、改めて戦後の日本を振り返るものになっている。
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