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公開日:2015.10.03

松田町寒田神社
百年ぶり式年大祭
創建1700年、「次の世代へ」

  • 白い鳥居の奥にある寒田神社の本殿(上)、かつて二の鳥居があったとされる十文字橋手前の交差点(右下)、慶応元年の本殿再興時の寄進帳と設計図(左下)

  • 式年大祭に合わせて作られた記念誌

  • 鳥居の位置を推定した地図=「御創建千七百年記念誌」より

 松田町松田惣領の寒田神社(薮田拓司宮司)できょう3日、1915(大正4)年以来100年ぶりの式年大祭が催される。当日は慶応元年の本殿再興時の寄進帳や設計図など収蔵品も一般公開される。

 松田小学校の西隣に佇む寒田神社は、西暦315(仁徳3)年の創建と伝えられ、今年が1700年の節目にあたる。

 神社関係者によると寒田神社は、平安中期の朝廷が認めた「延喜式内社」(全国2861社、相模国13社)のひとつ。県西地区では唯一で10世紀初頭にはすでに有力な神社としてこの地に鎮座していた。

 鎌倉幕府や江戸幕府の頃には将軍から奉献や朱印地の寄進を受け、明治、大正、昭和、平成と人々の市波を見守り続けてきた。

 現存する白い鳥居は「三の鳥居」とされ、1654(承応3)年以前までは現在の十文字橋付近に「二の鳥居」、さらに60メートルほど南の酒匂川護岸付近に「一の鳥居」があったとされる。当時は宝永噴火の50年ほど前で酒匂川は現在より西側を流れていた。

記念誌を編さん

 10月3日の式年祭に合わせ、氏子を中心とした編集委員会(島村俊介委員長)が神社の歴史などをまとめた記念誌を編さんした。

 A4サイズ127ページの記念誌には寒田神社を中心とした年表に残された資料からエピソードを加え、単なる記録集ではなく読み物として編集されている。

 記念誌の制作中には、江戸時代の神鏡や三宝、1865(慶応元)年に書かれた寄進帳と本殿の設計図が発見され、新たな史実も収録した。

 記念誌の編さんで中心的な役割を果たしたのは松田町史に詳しい前松田町長の島村俊介さん(69)。神社の近所で酒店を営む島村さんは「次の世代が寒田神社の歴史を振り返る時の参考になれば嬉しい」と話す。

きょう特別公開

 氏子など関係者ら140人による神事をきょう3日午前10時から行い、普段は非公開の本殿内部や収蔵品などを正午から午後3時まで一般公開する。

 氏子総代の遠藤清之丞さん(73)は「足柄の人々の心の拠り所として信仰を集めた神社。式年大祭にぜひお越しください」と呼びかけている。

 問い合わせは寒田神社【電話】0465・82・1931へ=中面に関連記事(人物風土記)。

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