足柄
公開日:2024.03.09
連載【5】
現代に伝わった人形芝居―班目人形芝居の歴史―
足柄高校歴史研究部3年秋山七海さん
県立足柄高校3年の秋山七海さんは昨年11月25日、「全国高校生歴史フォーラム」で江戸時代から続く南足柄市の「班目人形芝居」の歴史をテーマに研究発表を行い、奈良県知事賞を獲得した。これまで4回にわたりそのレポート全文(写真の一部含む)を紹介してきた。今回が最終の第5回目となる。
第3章 足柄座の歴史(3)人形芝居の体験続き
足柄座の方から人形の使い方について教わった際の私の体験談も記しておく。人形はかなり重く、持ち上げるのがとても大変だった。左手一つで支え、指や表情を変えるので難しかった。舞台下駄は厚さが15センチほどあり、下駄を履いたまま3人で息を合わせるのでとても苦戦した。足柄座の方たちはスラスラと歩いていたので、沢山の稽古を重ねたのだと思った。演目の内容を理解し、語り手の話に動きや顔の表情を合わせるのは、とても難しいと感じた。
(4)足柄座の現状
現在足柄座の座員は17人で、活動は土曜日に行われている。足柄座のある方が、「今一番の課題は、後継者がいないこと」と語ってくれた。「若い座員がいない」というのが、課題であるが、こうした活動に興味を持ってくれる方もいる。課題もあるが、「昔からある活動なので大事にしている」と話してくれた。
おわりに
今回の研究では、江戸時代から続く班目人形芝居の歴史を解き明かすことができた。阿波から来た夫婦によって広まり、明治に吉田東九郎の指導により発展を遂げた。そうして地域で伝承されてきた班目人形芝居だったが、関東大震災の発生により活動が困難になってしまった。だが、新たに発見した新聞の記事などによれば、私の高祖父である石塚花之助ら村人の尽力で復活を遂げることとなった。その後は、第二次世界大戦の中で活動が行えない時期もあったが、戦後も地域で活動が続いていたものの、昭和31年(1956)を最後に一時中断することとなった。
資料を読んで行く中で班目の対岸にある岸とも深い繋がりがあったことが分かった。岸についての資料はほとんど無いが、八幡神社に元舞台小屋があることも確認できた。さらに、現在残る班目人形芝居の衣装を分析した結果、その中に岸で使われていた人形が多く伝来していることも分かった。また、人形の衣装に記された名前の方の子孫が現在も岸地区に何名かいられることを明らかにした。しかし、聞き取り調査を行う中で、岸では人形芝居の文化は今では全く伝わっていないということを肌で感じた。いくら地域で長い間伝わってきた文化とはいえ、一旦文化が途絶えてしまうと、その文化は人びとの記憶からは全く消えてしまうということが分かった。
班目人形芝居も歴史上その活動を中断することがしばしばあった。しかし、先人たちはその困難を乗り越え、活動を現在まで伝えてきた。足柄座も後継者不足などの問題はあるが、私はそうした足柄座を始めとする人形芝居の活動をより多くの人に知ってもらえるよう、その歴史を伝え、今後も研究を続けていきたい。 おわり
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