長津田駅からこどもの国駅を結ぶ「こどもの国線」が3月末で通勤線化20年を迎えた。同園へのアクセス手段として開業し、沿線の発展とともに2000年に通勤化を実現。その歩みや地元の声を聞いた。
通勤線化により、早朝深夜の運行や通勤・通学時間帯の約10分おきの運行などが実現したこどもの国線。1967年に開業、長津田駅からこどもの国駅を結ぶ3・4Kmの単線で、開業当時は(社福)こどもの国協会が施設を保有し、東急電鉄(株)が運行を担っていた。
こどもの国への交通機関として開業した経緯から当初は恩田駅もなく、休園日はほぼ運休、運行本数は1時間に2本程度、早朝夜間の運行が無いなど開園時間にあわせた運行を行っていた。そのため、周辺住民は通勤通学で長津田駅や田奈駅を利用するにはバスを利用するしかなかった。
しかし、沿線の発展や住民の増加とともに通勤線化の要望が地元で高まり、その実現のために、「こどもの国駅前自治会」(金子晃会長)が結成されたほか、奈良町連合自治会も協力した。また、横浜市が94年に策定した総合計画「ゆめはま2010プラン」の交通政策の中で、「市民が最寄り駅まで15分でアクセスできる交通体系の整備を」という方針が掲げられたことで、同路線の通勤線化が加速した。
そして、通勤線化をめざして97年に市などが出資する第3セクターの横浜高速鉄道(株)がこどもの国協会から鉄道事業資産を取得(運行は東急電鉄のまま)。周辺住民の利便性向上と、車両のすれ違いを可能にして運行本数を増やすために恩田駅や大きな踏切などを整備し、2000年3月29日に通勤線化した。
こどもの国駅周辺には大型マンションの建設や大型店舗が出店。当時をよく知る奈良町連合自治会の関根宏一会長は「通勤・通学が飛躍的に便利になったことで周辺の開発も更に進んだ。当初は赤字覚悟と言われていたが今は混雑時間帯の車両増両の要望があがるなど、地元に必要不可欠な路線になっているのでは」と発展を喜んだ。
昔は弾薬の輸送路線
こどもの国線は、戦中同地にあった東京陸軍兵器補給廠への輸送路線を活用したもので、当時は路線が現在よりこどもの国敷地の内部にまで伸びていた。開業に際しては金子会長の父、伊平氏が土地を寄付してこどもの国駅が整備された。同路線の発展、そして通勤化を2代に渡って見守り続けてきた金子会長は「これまで大きな事故もなく、関係各位に感謝したい。これからも地域に愛される存在でいてほしい」と笑顔で語った。
地元では記念行事を予定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため中止に。各駅前に20周年を祝う垂れ幕が掲げられている。
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