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旭区・瀬谷区 社会

公開日:2025.09.04

疎開中の児童を支え
左近山の武井昭さん

  • 戦中の出来事を思い出しながら語る武井さん

 旭区左近山在住の武井昭(あき)さん(98歳)は戦中、小学生だった妹2人の学童疎開に同行。「保母」として、子どもたちの生活を支えた。

 7人きょうだいの長女として、品川で生まれ育った武井さん。父親が勤務する塗装会社の社宅に暮らしていた。中学卒業後は、東品川の軍需工場で働いていたという。

お手玉の中に大豆

 戦争の激化に伴い、妹2人が小学校で集団疎開することになった。「私たちに何かがあった時に、疎開した2人だけが残るような事態にならないように」。親から、そう託された武井さんも妹たちに同行した。

 疎開先は青梅で、子どもたちの住む場所は9カ所に分かれていた。武井さんが拠点としていたのは東青梅の寺。3年の女子児童30人ほどを見守っていた。衛生環境を保つことが役割の一つで、シラミを防ぐために、すきぐしで髪をといたり、衣服を高温のお湯で煮たりしていたという。

 印象深い出来事が、面会に訪れた親が子どもに渡す「お手玉」。なかには、いざという時に食べられるようにと、煎った大豆が詰められていた。「食料がろくになかったから。夜、ボリボリと食べている姿を見たね」と悲しそうに思い返す。

 終戦後しばらくして都内へ。品川の家は焼夷弾で焼けたため、親はバラックで暮らしていた。家族は無事だったが、全員が一緒に生活することはできず、武井さんは親戚の家に移った。

体験者の話を

 戦中を振り返り、特に辛かったのが防空壕の暮らしで、疎開先から一時的に戻った際に過ごしていたという。「三畳ぐらいの広さに5人。頭と足を入れ違いにして寝ていた」と振り返る。

 終戦80年の今、若い世代に戦争について知って欲しいと切に願う。「聞いてもピンとこないかもしれないね」としたうえで、「(知る手段は)テレビや漫画など色々とあると思うが、やっぱり戦争体験者の話を聴いて欲しい」と呼びかける。

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