とつか歴史探訪 ■〜旧東海道・戸塚宿を訪ねる〜第72話〜道で見かける石仏・庚申塔:その2 青面金剛〜
道教に由来する庚申信仰ですが、後の時代になると仏教や山王信仰が混淆し、江戸時代には庶民の間にまで広まりました。庚申塔には多様な形がみられますが、普通三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)が刻まれます、これは「かのえさる」からの連想と、悪行を見ない・聞かない・言わないでほしいと言う願いを込めてのことだったのでしょう。正面には主尊といわれる神仏が刻まれており、初めの頃は阿弥陀如来などが主尊でしたが、元禄時代頃から青面金剛(しょうめんこんごう)が病魔退散を願って祀られ、庚申待ちの無病息災・延命の祈願と結びつき主流となります。
戸塚区内の青面金剛の庚申塔としては、冨塚八幡宮の寛文11年(1671)銘のものが最も古く"はしり"といえます。青面金剛は通常忿怒の相を表わし四臂や二臂のものもありますが、多くは六臂(ろっぴ=腕が6本)で手には弓矢や密教の道具などを持った姿をしています。邪鬼を踏みつけていることが多く、「怖い」イメージの神様といってよいでしょう。庚申塔には主尊と三猿のほかに日・月と鶏が彫られているのが普通です。日・月は夜から朝までを意味しますし、鶏も「さる」の翌日の「とり」で、徹夜の行事を暗示しています。江戸時代も後期になると、彫像の代わりに簡略化され「庚申塔」や「青面金剛」などの文字だけを彫った文字塔が多くなります。
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