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公開日:2022.08.04

舞岡熊之堂戦争遺跡
照空隊陣地を発見
文化財センターが展示会

  • 熊之堂遺跡がある丘陵を前にする古屋所長(上)〇で囲った部分が遺跡(写真はセンター提供)

 横浜市ふるさと歴史財団 埋蔵文化財センターが、2017年から20年にかけて舞岡町と吉田町にまたがる「舞岡熊之堂遺跡」で行った発掘調査。縄文から弥生時代を中心にした住居跡が多数見つかったなか、太平洋戦争末期の照空隊陣地跡も発見される予想外のことが起こった。その発掘成果を報告する展示会が8月9日から、区役所などで開かれる。

 標高約55〜60mの丘陵上に位置する同遺跡。古くから横浜市はその存在を把握していた。今回の発掘調査は、市が現在整備を進めている(仮)舞岡墓園の計画地に同地が含まれているため、工事前に行われたもの。

 市から委託を受けた同センターにより判明したのが、縄文30、弥生60、それ以降の時代を含め100以上の竪穴式住居跡だ。調査にあたった古屋紀之所長によると出土した遺物(土器や石器)で時代区分が判明するという。「これほど大規模な住居跡とは驚きだった」と話す。

謎の円形遺構

 発掘中、古屋所長は不思議な円形の遺構を発見。土の色などから時代は近年のものであることは分かったが詳細は不明だった。そこに市教育委員会から、旧日本陸軍が太平洋戦争末期、襲来する米軍のB29への防空体制として配置した照空隊陣地・川崎市の黒川(現・麻生区)と熊之堂が類似しているとの情報提供を受ける。黒川は詳細な資料がそろっていたことから、古屋所長はこれを使い、熊之堂と照らし合わせるとピタリと一致したという。「黒川の陣地跡と類似の形で遺構が残っていた。照空灯でB29の機体を照らし、別の場所に配置された高射隊が敵機の撃墜を狙った」。照空灯は終戦前、旧陸軍が移転させたことから残っておらず、時代の流れとともに歴史の闇に埋もれることに。古屋所長は「発掘が戦争遺跡を詳らかにする有効な手段となる」と話す。

 展示は8月9日(火)〜23日(火)まで戸塚区役所3階区民広間。8月25日(木)〜9月14日(水)まで舞岡地区センター。時間など詳細は文化財センター【電話】045・890・1155。

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