戸塚区・泉区 社会
公開日:2026.02.19
深谷通信所の過去・未来【2】
日米親善盆踊りの思い出
「身動きとれない人出だった」この連載では深谷通信所跡地の過去・未来について関係者の話を紹介します
深谷通信所跡地に多数ある小中学生の野球グラウンドは長いところで50年ほどの歴史がある。今なお週末は練習に励む声が各所で響き、練習試合なども行われるため選手や保護者が集まって活気にあふれている。
中学硬式野球チームの横浜泉リトルシニアで副会長を務める福崎幸夫さん(82)はチームに長年関わり、グラウンドで多くの時間を過ごしてきた一人だ。当初はバス停近くの町内会の貸出用グラウンドを使っていたが、ボールがバスにぶつかってしまい「米軍の隊長から『ここは危ないから、あっちなら使っていいよ』って言われて」現在のグラウンドに移った。
今でこそ原っぱが広がる同地だが、当時は背の高い植物が生い茂り、地面も凸凹で荒れていた。ごみの埋立地でもあったという。練習場所の移転に際し、米軍はネットを張るための鉄柱なども用意してくれたが、「ボーリングして鉄柱を埋めるのは自分たちで。保護者の中にそれができる人がいてよかった」。
親日派の隊長たち
福崎さんによると隊長は親日派だったようで、ソフトボールでの交流もあったが、「相手は軍人でしょ。相撲取りみたいな大きい男がスライディングしてくるんだからおっかないよ」と当時を懐かしむ。
そんな中で1990年頃から7月末に日米親善盆踊り大会が開催されるようになったという。福崎さんは日本側の調整役を担い、しばしば基地内に入ることも。常駐していたのは10人ほどだったそうだが、敷地内にはスポーツジムや郵便局、映画館などもあった。苦労したのが本隊との連絡。「許可を得るのに上瀬谷から横須賀、ハワイの本隊へと経由して戻ってくるので、1往復で1カ月もかかってしまっていた」と振り返る。
盆踊り当日、会場には厚木基地や横須賀基地など県内各地の米軍関係者も集まり、2日間で1万人以上が訪れるにぎわいで「身動きとれないほど」。アメリカならではのスケールの大きいステーキやバドワイザーなども並んだ。福崎さんたちが作った「スネークパン」は1500本も売れたという。「売り上げでまたお酒を飲んだりしてみんなで楽しんだね」。余った分はチームの設備に充てることもできた。
9・11を機に幕
そんな交流も続いたが、2001年にニューヨークでテロが発生すると緊張感は一気に高まり、祭りはそれきり中止。野球のグラウンド使用も1年間禁止された。
2014年に米軍から返還された深谷通信所跡地は、27年に都市計画決定、46年頃完成という構想で公園再整備への準備が進められている。従来のように利用できなくなるため、「荒地の整備もそうだけど、長年草むしりとか管理もしてきたのは各チームなんだけどな」と寂し気に語った。
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