区災害ボランティアネットワークの新代表に就任した 竹内 照雄さん 森在住 70歳
仲間想いの元”ガキ大将”
○…大規模災害時、区や区社会福祉協議会などと連携し、被災者からの要望受付と、それに基づいて市内外から集まるボランティの派遣作業を担う災ボラネット。その3代目代表に就任した。「気負うことなく、これまで通りで。初代、2代目のよいところを引き継いでいきたい」と、穏やかな口調で話す。その一方で、他団体との会合には、自身以外の会員にも出席を促す。「発災時、私を含め誰が集合できるか分からない。みんなが代表という気持ちで取り組んでいきたい」
○…60歳を超えたころ、「時間もあるし、体も元気だから」と、ボランティア活動に携わるように。特別支援学校に通う中学生の送迎などを手伝った。阪神淡路大震災での惨状を知り、8年前の災ボラネット立ち上げでは、準備段階から参加。「当時は市内でも3、4区しか災ボラがなくて、手探り状態だったよ」と苦笑い。それを補うため、10日間にわたる県の災ボラコーディネーター研修にも参加し、ノウハウを取得した。2年前には副代表に就任し、前代表を支えてきた。
○…出身は福岡県北九州市。8人兄弟の7番目。体は小さかったが、わんぱくなガキ大将だった。小学2年のときに父を亡くし、小学6年からは新聞配達などで家計を支えた。「新聞配りながら、豆腐を販売したり、知恵を絞ってやっていたよ」と、懐かしそうに目を細める。高校卒業後、不動産会社に就職し、21歳のとき異動で上京。25歳で結婚し、戸塚区や千葉市、秦野市などで暮らした。26年前に独立し、不動産会社を設立。その4年後には妻の実家である区内森に引っ越し、2世代生活を始めた。
○…息子と娘は独立し、今は妻と2人暮らし。週1回コースに出るというゴルフは、ハンディ20の腕前。関東に暮らす中学高校時代の仲間たちとは、今でも定期的に飲み会を開く。座右の銘”みんなが幸せになればいい”の通り、ボランティア精神で、いざに備える。
|
|
|
|
|
|