山形県米沢市の観光情報を発信するなどして同市の功労者に選ばれた 近野 照彦さん 西中町在住 76歳
飛び出したまちに恩返し
○…功労者に選ばれ、「米沢のことを少しでも横浜の人に知ってもらえれば」と目を細める。2012年、ライオンズクラブの活動で米沢市産の「啓翁(けいおう)桜」の苗木を大通り公園に植樹して縁ができた。以降、毎年2月に米沢市関係者を横浜に招いて交流会を開き、13年から米沢市の「おしょうしな観光大使」を務める。今年7月には社長を務める電気設備工事業「横浜ライテック」から花火大会のために100万円を寄付するなど、観光振興にも貢献する。
○…米沢市の隣町の農家で生まれ育つ。「迷惑をかけることが多かった子どもだった」と振り返るように、園芸高校を中退して故郷を飛び出し、神奈川にやって来た。職を転々とした後、1974年に電気工事会社を創業。「人に使われるのが嫌で独立したが、最初の1年は収入がなくて大変だった」。団地の電気設備のメンテナンスを請け負えるようになって軌道に乗った。自身の経験から「スタッフに苦労をさせたくない」と業務に必要な免許取得を支援し、「長く勤務する人が多い」と胸を張る。
○…高校生の時にカメラマンに師事し、結婚式の撮影も担当。「撮影時に着物を直したりするから、着付けは覚えた」と笑う。南区に住んで50年以上。消防団員を長く務めるなどしたが、「最近は近所の付き合いがなくなって災害時にどうなるのか」と心配する。
○…10代で自ら離れた場所だが「恩返ししたいと思っていた」と功労者表彰が少しでも地域振興につながればと願う。米沢市は人口減少が続くが、市の取組で若者の移住者が増えつつある。「昔のような大都会に戻ってほしい」。横浜から400Km近く離れた上杉家の城下町に思いを馳せつつ、今後も横浜との橋渡し役を担う。
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