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保土ケ谷区 コラム

公開日:2023.02.16

日蓮宗樹源寺 権住職 日比(ヒビ)宣仁(センジン) 連載22
法話箋 〜鹿苑〜
「生きるということ」

 私たちは何のために生きているのでしょう。人生に意義を見出し、生きがいを感じながら生きることは大切です。それでは、何のために生きがいを感じて、活き活きと生きる必要があるのか。現代人にはこのような疑問を持つ人が多くいると思います。

 しかし、以上の問題提起には、若干修正すべき点があるでしょう。つまり、私たちは「生きている」のではなく、大自然の大きな流れの中に「生かされている」と言ったほうが理に適っていると考えられます。

 生きるということの源を尋ねれば、そこには父と母があります。父と母が存在するためには各々の父母がいるはずです。それ以前にも何千、何万という先祖たちが出会い、愛し合い、未来への希望を持ち、一生懸命に生きていたのです。私たちはその先祖たちの努力や願いの結晶に他なりません。このように考えた時、私たちは決して1人で「生きている」のではなく、「生かされている」と気づくでしょう。

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