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保土ケ谷区 コラム

公開日:2023.09.28

日蓮宗樹源寺 権住職 日比(ヒビ)宣仁(センジン) 連載29
法話箋 〜鹿苑〜
「能所不二(のうじょふに)」

 私たちの認識器官(能取(のうしゅ))と、周囲の環境(所取(しょしゅ))が接触することで、認識が成立します。しかしながら、釈迦は能所不二(のうじょふに)、つまり、能取と所取の区別がない境地こそが真如(しんにょ)の世界(悟り)であると説きました。つまり、悟れば、自我を根本とする能取と、その対象である所取が共に消滅し、真如に帰するのです。例えば、自分が好きな趣味に夢中になって没頭している時、そこに能取と所取の区別はなくなるでしょう。ふとした瞬間に漠然と「楽しい」とは感じますが、それ以外は特に苦楽の感情はなくなるのではないでしょうか。この境地は、能所不二の真如の境地に似ているでしょう。

 趣味だけではなく、仕事や勉強などでも無我夢中で何かに取り組む時、その境地は能所不二の如(ごと)きものと言えます。

 一方、雑念(ざつねん)によって細かいことを気にしている時は能取と所取が分裂している状態と言えます。この状態が続くと自我意識が勝り、それは苦しみの原因ともなります。

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