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鶴見区 コラム

公開日:2017.03.02

―区制90周年記念―【連載【3】】
鶴見90年のあゆみ
「昭和2年〜11年」

  • 区誕生当時の区役所と山中竹樹初代区長

【鶴見区誕生】



 大正14年、当時の鶴見は、鶴見町(旧生見尾村)と潮田町(旧町田村)が合併し鶴見町となり、山間付近の旭村と合わせ1カ町1カ村となっていた。



 同町村が横浜市に編入したのは、2年後の昭和2年4月1日。大きな要因となったのは、「水」だった。



 当時は、井戸などが主流で、確保がままならなかった飲み水。住民らは湧水の活用や、便宜的措置により横浜市の給水栓から汲み出すなどして生活していた。奇しくも京浜工業地帯に企業が次々と進出し、爆発的に人口が増えたころ、同時に深刻な水不足に悩まされる事態となっていた。



 そこで人々が期待したのが、横浜市の持つ公営水道だった。編入前、横浜市か、川崎市か、鶴見単独か――という3択に揺れたという記録もあるが、「水道の敷設工事・配給」などを条件に、鶴見は横浜市に編入した。



◇  ◇  ◇



 同年10月1日、市の区制施行にともない、最初の5区(鶴見・神奈川・中・保土ケ谷・磯子)の一つとして、鶴見区が誕生。発足時は18町・約6万2千人だった(現在は106町丁・約28万7千人)。埋立による面積増はあるが、5区のうち区域を分離していないのは鶴見のみとなる。

 

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