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鶴見区 コラム

公開日:2020.09.10

「土木事業者・吉田寅松」【12】 鶴見の歴史よもやま話
鶴見出身・東洋のレセップス!?
文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略

『驢事馬事』に記録された濃尾大地震への義援金募集



 碓氷線の工事中の明治二十四年十月二十八日に岐阜県と愛知県を襲った濃尾大震災に際して、吉田寅松は、恤救金(じゅっきゅうきん、生活困窮者の公的救済のための資金)百円を寄付し、岐阜県知事より木杯を贈られている。



 濃尾地震については、建功寺住職の宏道和尚の山内日記『驢事馬事』にも記録されていた。



 宏道和尚は、十月二十八日の朝七時に地震を感じ、三十日の新聞「本日ノ新聞ニ関西地方大地震ノ詳報ヲ掲ク」で、二十八日午前六時三十八分頃、関西地方に大地震のあったことを知った。



 早速、義援金について、「明教新誌」などの仏教啓蒙書を出版している大内青巒(おおうちせいらん)主宰の明教社に問合せの手紙を出した。



 十一月五日に明教社より義援金についての回答が届き、建功寺の末寺である師岡の永昌寺の住職や大檀家である獅子ヶ谷の横溝家と相談をして義援金募集帳を作成。檀家総代である澤野家などの賛同を得て、震災救助のための義援金の募集を始めた。



 六日には義援金の件で馬場学校を訪れ、七日には坊主店(ぼうずみせ)の店頭に義援金募集を呼びかける張り紙を掲示した。十日にも坊主店に二回目の義援金募集の案内を張り出した。末吉や駒岡方面にも義援金の協力を呼び掛けるために足を運んだ。



 十一月十日には、朝九時から成願寺・宝泉寺・旭役場・常倫寺・永昌寺を訪問し、震災犠牲者を供養する大施餓鬼会(だいせがきえ)について相談をし、夕暮れ時に帰宅。十一日から十三日にかけ、駒岡の常倫寺や東寺尾の松蔭寺の住職、五神家、友野家、澤野家などから義援金が届いた。



 集まった義援金は、十五日の朝一番の列車に乗り東京の明教社へ届けた。明教社で震災の様子を伝える幻燈の写真フィルムがあることなどの情報も得たと思われる。

 

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