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鶴見区版 公開:2021年5月7日 エリアトップへ

「土木事業者・吉田寅松」㉔ 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略

公開:2021年5月7日

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大名や勅使が参詣

 徳川家康の霊廟である東照宮をはじめ、古くから修験道の霊場として信仰されてきた二荒山(ふたらさん)神社、三代将軍家光をまつる輪王寺は、極彩色で彩られた彫刻がちりばめられて、豪華絢爛、崇高な美しさをたたえている。

 日光は、江戸時代を通じて将軍や大名、旗本たちが参詣する聖地であり、毎年四月、家康の命日に合わせて、朝廷からも奉幣使(ほうへいし)が派遣された。

 京都から中山道経由で日光例幣使街道と呼ばれる脇街道を通り、四月十五日に日光に到着し、次の日の朝、東照宮にささげものを納めたあとに江戸へ行き、将軍と対面してから京都に帰るのが通例となっていた。

 『関口日記』の元治二年四月二十五日に、「日光御法会御神忌」に参列して京へ上る公家衆が四、五日続いていることが書かれており、慶応二年と慶応三年の四月十九日にも「日光例幣使ご通行」とある。

 江戸時代初期には、将軍の代替わりを祝い、華やかに五百人もの大行列を組んで江戸城を訪れた朝鮮国からの通信使(来聘使(らいへいし))の一行も日光東照宮に参詣した。

 三代将軍家光は、大勢の大名や旗本たち数千人の大名行列を従えて、十回も日光東照宮に参拝しているが、江戸から日光までの道中は、片道四日を要したという。

外国人魅了した荘厳美

 明治三年五月、夫人同伴で日光を訪れたイギリス公使ハリー・パークスによって、「野生味のある美しい日光地方の徳川王朝の創設者を祭る偉大な神社と記念物」が初めて西洋人に公開され、驚嘆と賞賛の的になった。

 明治三年、アメリカ人宣教師ヘボンも日光を訪れ、その美しさと荘厳さに魅了された。

 しかし、外国人用の宿泊施設がなかった。困っていたヘボンに宿を提供したのは、東照宮の雅楽師・金谷善一郎、十八歳の青年だった。

 ヘボンは金谷に、これからは外国人観光客が大勢日光を訪れるから、外国人専用の宿泊施設をつくることをすすめた。

 この進言を受けた金谷は、明治六年に自宅の武家屋敷を改造して「金谷カテッジイン」をオープン。訪れた外国人客からは「Samurai House(侍屋敷)」と親しまれ、明治二十六年に日本初の西洋式リゾートホテル「金谷ホテル」を開業した。

 明治五年には、イギリス公使館の通訳として来日し、明治維新にも大きな影響を与え、のちに駐日特命全権公使として活躍した外交官アーネスト・サトウが日光を訪れた。中禅寺湖と奥日光の自然に魅了されたサトウは、横浜の英字新聞や明治八年に発行した英文のガイドブック『日光案内』で、日光の風景のすばらしさを紹介した。

 明治十一年六月、イギリスの女性旅行家イザベラ・バードも日光を訪れ、杉並木と壮大な社殿の美しさに驚嘆した。

 ハリー・パークスやヘボン、アーネスト・サトウ、イザベラ・バードらによって紹介された、雄大な自然と日本建築の粋を極めた壮麗な建物群を擁する日光に、多くの外国人が訪れるようになった。
 

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